怖い。

ただただ、その思いが先にたつ。








SHALIMAR







春から夏へと、ゆっくりと移行していくこの時期は、同時に日没がどんどん遅くな
る時期でもあって、が手元の本から柱に掛けられた時計の文字盤に視線を移
したときには、既に短針は真下よりもかなり左を指していた。


「もう、こんな時間」


慌てて本を閉じて周囲を見回せば、本から人気のない図書室はしんと静まり返って、
埃ですら舞い上がってこの静寂を壊すような無粋な真似をしたくないのか、自分の
他に動く気配はなにも感じられない。

外から聞こえる運動部の掛け声も、締め切った窓に阻まれて酷く遠い。

疎外感。

その言葉に似合う場所があるのなら、それは今のこの部屋のことだと思った。


しかし、それは一瞬の事。



「…柳君」


カラリ、と乾いた音を立てて引き戸が引かれ、顔を出した柳にはぎこちない
笑みを向けた。


「今日が返却期限なんだが、まだ受け付けてもらえるか?」
「うん、大丈夫」


馴れた仕草で裏表紙を開き、カードを抜き取って返却の印を押し、カウンター裏の
カートへ本を積み、振り向き様に3年のカードケースから柳の貸出カードを取り出し
て差し出した。


「流石だな」


柳がふっと笑う。
何のことかと見上げると、「手馴れている」と一言。
も「ああ」と納得して、


「1年の時からやってるから」


3年目になればいい加減に慣れもする、と笑んだ。

「…がいないようだが?」
ちゃんは司書の先生と書庫の棚卸してるの。来月業者が来て燻蒸するから」
「そうか」
「珍しいね、柳君がギリギリに返却なんて」
「ああ。今回は少し忙しくてうっかりしていた。いつもなら柳生に一緒に返却して
くれるよう頼むんだが、残念ながら今週は何も借りていなかったらしい」
「……あ、うん。そうみたい」


貸し出しカードのケースには読書家の彼のカードはない。
本を借りて1日・2日で返したという可能性もあるが、彼は大抵読みたい本を数冊
纏めて借り出すのが常だ。
ケースの引き出しを閉めながら、そういえば、と思い出す。


「先月ジェフリー・ディーヴァーの新刊が出たから、柳生君それ読んでるんじゃな
いかな。ミステリー好きみたいだし」
「…当りだ」


が言った途端、柳の目が一瞬驚いたように開かれて、すぐにまた細められた。
口元に浮かぶ笑みは出来の良い生徒を見る教師のよう。


「図書委員というのは個人の嗜好まで把握しているものなのか?」
「まさか」


常連さんだけだとも微笑む。


「利用する生徒も少ないし、常連さんは何となく自然に覚えてしまうというか、ね。
新刊チェックしたときに「これはあの人の好みっぽいな」とかつい考えちゃうから、
それで」
「成る程」


良いデータが取れた、とノートを開いてなにやら書き込む柳にクスクスと笑い声を
漏らしただったが、

カラリ、

引き戸が開かれる音が耳に届いた途端にその顔から一切の表情が消えた。


さん」
「はい」


入ってきたのは先ほども話題に上った司書だったが、それでもの態度は変わる
ことはなかった。


「時間だからここ閉めてくれる? 鍵はいつも通り職員室に返しておいてね」
「わかりました」
さんは先に帰したから」
「はい」


能面のような表情で、従順に頷くだけのを司書が訝る様子もない。
それは常日頃の彼女の態度がそうであることの証拠でもあった。
柳は冷静にそれらを観察し、分析していく。

ふと、司書の目が柳に向けられた。


「君、たしかテニス部の……?」
「本の返却に来られたんです」


問うような視線に柳が答えるよりも早く、が答えた。


「もう手続きは終りましたから」


早く帰れと言わんばかりの態度。
だが、それはいつものことだ。
人目のある場所では、彼女はテニス部員たちに対していつもこうなのだから。

……いや、テニス部員だけではない。
ほんの一部の友人を除いて、殆ど全ての人間に対し、彼女は一貫して冷たい態度を
とり、距離を置いていた。


「ありがとう」


だが。
帰ろうとした柳を司書が引きとめた。
を送れと言う。


「俺は構いませんが」
「先生、私なら大丈夫ですから」
「いいから送って貰いなさい。まだ日は残ってるけど、すぐに暗くなるから」
「でも…」
。先生の仰る通りだ。この時間に一人で帰るのは無用心過ぎるだろう」


それでもと言い募るに、柳は溜息を一つ付いて


「お前を一人で帰したと知れたら、後々俺が責められる」


お前の保護者にな。
にしか見えないよう、意味ありげに笑んだ。











は学校ではまるで別人だな」
「え?」


二人並んでの帰り道。
俯いたままのに柳が呟いた。


「必死で壁を張り巡らせて、自分を守っているように見える」
「そんなこと、私…」
「何がそんなに怖いんだ?」


薄闇迫る路上で、振り仰いだの視線を、柳の目がしっかりと捕らえていた。









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これは柳夢ではありません。(苦笑)