SHALIMAR
委員の仕事で久し振りに遅くなった帰り道。
夕闇が迫る中、前方を歩く人影を彼だと判断できたのは長年の付き合いのお陰だ。
真っ直ぐに伸びた背筋、長く伸びた影、肩に担いだテニスバッグ。
辛うじてそれだけが分る。
制服すら判別がつかない。
でも、わかった。
嬉しくなって、きょろきょろと周囲を見回し、他に人影がないことを確かめると、は
全速力で走り出した。
「弦ちゃん!」
呼び掛けながら、とんっと地面を蹴る。
足音にか声にかは分らないが既に振り向いていた真田は、これも長年の経験で、驚くことな
くしっかりと飛びついてきたの体を抱きとめた。
学校での彼女からはおよそかけ離れた大胆さ。
極端に人見知りする彼女がこんなにも生き生きとした表情を見せることを、級友達は誰一人
として知らないだろう。
「……。はしたないからいきなり飛び掛るのはやめろと言ってあるだろう」
「女の子一人受け止められないような中途半端な鍛え方はしてないでしょ?」
「当然だ。だが、それとこれとは…」
「久し振りに会えたから嬉しかったの!」
真田の深くなっていく眉間の皺にも怯むことなく、屈託のない笑顔を向けられるのはきっと
だけで、それゆえに真田はに対してテニス部員たちのように声を上げて叱ることが殆ど
出来ないでいる。
確信犯か無意識なのかをいつも疑うが、何度考えても後者としか思えず、喉までせり上がっ
た胴間声は口から出てくるときは深い溜息に変わってしまうのだった。
いつも怒鳴られている部員たちが見たら「不公平だ!!」と騒ぎ出しそうな光景も、産まれ
たときから続いているのだから、どうしようもない。
「今日は部活はもう終ったの?」
「ああ」
首に回していた手を解き、横に並んで歩き出す。
一緒に帰ろうなどと今更言うまでもない。
「こそ、今日は遅いな」
「うん。委員の仕事でね。つい熱中しちゃって」
「そうか」
「弦ちゃん、これから何処かへ行くの?」
「ああ。幸村の見舞いにな」
「ゆきむら……って、たしか、テニス部の部長さんだっけ?」
「そうだ」
「……部長さん、入院してるの?」
「知らないのか?」
うん、と頷くと、軽く眉を上げて驚いたような顔をされた。
学校で知らぬ者はいないと言われる立海大付の男子テニス部だが、極力係らぬようにしてき
たには皆が噂しているのを聞くともなしに聞く程度で、部長の幸村と言われても顔はおろ
か、テニスが強いのかどうかも解らない。真田が部長と認めているのだから、それなりの実力
はあるのだろうとは推測できるが、それがどの程度なのかとなると、さっぱりだ。
「……お前らしいな」
大きな手が、ぽん、と頭に載せられた。
「……どうせ、世間に疎いですよ」
「その感触が嬉しいのに照れ臭くて、それを誤魔化す為に拗ねた表情を作ってます」と丸わか
りの態度が真田の苦笑を誘う。
「一緒に行くか?」
「え?」
「幸村の見舞いだ。いつもいつも同じ顔ぶれでは幸村も退屈だろう」
「……でも」
「幸村なら俺が保障する。大丈夫だ」
戸惑いではなく不安で揺れた瞳を見据えて、真田が言う。
「………うん」
それでも不安げな がそっと指を伸ばして、真田は視線を向けることすらせずに当然のように
その細い手を握った。
後ろに伸びる影が二つ並んだ。
慣れぬ入院棟の廊下をは神妙な面持ちで進む。
あまり物珍しげに周囲を見回すのは失礼だとでも思っているのか、視線を下に向けている。
「前を見て歩かないと転ぶぞ」
そう声を掛けると、漸く頭を上げる。
それを確認して、真田は足を止めた。
「弦ちゃん?」
「ここだ」
答えつつノックをすると、「どうぞ」と低いが柔らかい声が応じた。
引き戸を開ける前に「入るぞ」と声を掛けるのが、律儀な真田らしくて微笑ましい。
変わらないな、と口元だけで微笑んだら、全身で感じていた緊張が少しだけ和らいだ。
「やぁ真田。また見舞いに来てくれたのか」
「ああ。変わりはなさそうだな」
「ご覧の通りだよ」
交わされる会話は気の置けない親友同士のそれで、間に割って入る気になれないは
開け放たれたままの戸口で入るには入れないでいた。
「見舞い客の顔も代わり映えがしないと飽きるだろうと思ってな。今日は珍しい客を連れ
てきた」
「客?」
「ああ。……、そんな所に立っていないで早く入れ。戸を閉めるのを忘れるなよ」
真田はそんなにしっかり気付いていたらしい。
まるで小さな子供のような言われようにバツの悪い思いをしつつも、そう言われては入ら
ざるを得ない。
緊張と恥ずかしさで頬をうっすら染めながら、恐る恐る病室に足を踏み入れた。
「へぇ…」
その途端、驚いた顔をした少年と目が合った。
まじまじと見られ、決まりが悪くなってすぐに目を伏せてしまう。
「」と咎めるような響きで真田に名を呼ばれたため、「初めまして、です」
と顔を上げぬまま頭を下げた。
が、当然返ってくると思っていた挨拶の言葉の代わりに幸村は、
「…………真田の彼女?」
そんな事を言い出すものだから、
「ちっ、違います!」
「違う!!」
二人して病人に怒鳴ってしまった。
「あっ、ごめんなさいっ」
「すまん」
そして直後にここが病院だったと思い出して二人同時に反省する。
つかの間、キョトン、とした幸村は「気が合ってるね」と言って笑った。
とても楽しげに。
その、綺麗なつくりの顔からは想像しづらいほどの豪快な笑顔につられたのか、
も赤い顔のまま、小さく声を上げて笑った。
真田が驚いた顔をしていたのには気付かなかった。
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書き直しても大して変わらない1話目。