迂闊だった、と自分を責めるしかない。
この状況に追い込まれるだろうことなど少し想像力を働かせれば分かった
はずなのに、 否、分かっていたのに、それでもそんなことよりも力強
く包んでくれる腕に縋っていたいと望んでしまったのだ。
愚かだと思う。
本当に。
明日の朝迎えにくる、と言い残した跡部の言葉はマンションの前に横付け
された白銀のRolls royce Phantomで証明された。
「どうした?」
思わず眩暈を起こしかけたの気も知らず、跡部はこの車じゃ気に入
らなかったか、と的外れな気使いをしてくる。
「悪いが、これが今俺が動かせる中で一番セキュリティの充実してる車な
んでな。多少気に食わなくても我慢してもらうぜ?」
「……天下のロールズを気に食わないなんて、逆立ちしたって言えないっ
ての」
昨日まで彼を送迎していたのはアストン・マーティンだった。
あちらも充分な高級車のはずだが、やはり世界に冠たるロールズはどこか
違うのか、乗り心地は勿論のこと、窓の外を流れる景色すら違って見える
のだから不思議だ。
この車に乗れることに文句などあるはずがない。
では、何が不満なのか。
そんなこと決まっている。
派手すぎるのだ。
せめて車体の色がもっと落ち着いた色ならもう少しはマシだっただろうに、
流れる弾丸のようなボディは通行人どころか併走する車のドライバーの注
目までしっかり集めてしまっている。
ストーカーにつけ狙われている身としては少しでも目立たなく、周囲に紛
れ込んでしまいたいのが実情なのに、これでは全くの逆効果だ。
なのに、跡部は悠長に「この車のメーカーが良く分かったな」等と感心し
ている。
「そんなの、誰だって判るわよ」
「そうか?」
「車体トップに立つ“Spirit of ecstasy”を見れば一目瞭然でしょう?」
『超』が付くほどの高級車の代名詞であるメーカーの、その代名詞も同然
のカー・アクセサリーの名前を流暢に発音して溜息を付いたの顔を
覗き込んで、跡部は「そうかよ」と面白そうに笑った。
予想通り、というよりも予想以上に。
氷帝学園は大騒ぎとなった。
朝錬の始まる時間ではまだ登校する生徒も疎らで、これならばそれほど騒
がれることもないかと高をくくっていたのだが、その僅かな数の生徒達が
二人が『同じ車』で登校してきたことを喧伝して回ったらしい。
授業が終わり、部活動の時間までに呼び出しを受けた数3回、教室に女子
生徒のグループが乗り込んできた数5回(つまり、休み時間の度に誰かし
らがやってきたということだ)、唯一昼休みだけは、いつもの屋上で誰に
も邪魔されることはなくのんびりと食事を取ることが出来たのが幸いだっ
た。
……いや、のんびりと、と言うには語弊があるか。
「大体、何でそない大変なことになっとんのにさっさと俺らに相談せえへ
んかってん? ただでさえ女の子の一人暮らしなんてそんだけで危ないん
やから、ちゃんと報告してくれんとあかんやろ?」
「いや、あの…」
「先輩一人で悩んでたなんて、水臭いですよ」
「や、だってね、皆に心配かけちゃ悪いなぁって」
「…それは、俺達が頼りないということですか」
すっかりオカンと化してしまった忍足はもとより、いつもは温和な長太郎
や我関せずの日吉にまで責められて、針の筵状態。朝錬の後に跡部が部員
全員を集めて事情を説明してからというもの、ずっと、だ。
「そういうことじゃなくって、警察にも届けてあるから大丈夫…」
少しでも反論しようものなら、
「警察が何してくれるっつーねん?!」
「あいつら、被害が出るまでは動けねーんだぞ!」
「そーなの、岳人物知りー」
「先週やってたテレビでゆってた!」
「ウス」
「…樺地クンまで」
何倍にもなって返って来るのだからどうにもならない。
「とにかく、行き帰りは必ず跡部に送ってもらい。学校ん中は心配ないと
思うけど」
「あ、うん。氷帝はセキュリティがしっかりしてるもんね。だから此処に
入ったんだ」
「…へぇ、そうなん?」
「うん。ルドルフとどっちにしようか迷ったんだけどね」
「ああ、あそこも部外者のチェック厳しいな。文化祭なんか、招待状以外
にも身分証明書の提示求められるしな」
「そうなんだ…詳しいね、跡部」
「……まぁな」
素直に感心したに、だが跡部は何故か面白く無さそうな表情をした。
忍足などはその表情にぴんときたが、そこは武士の情け…と言うよりもむ
しろ同病相哀れんで敢えて口を閉ざしたのだが、
「つーかさ、跡部の場合は詳しいんじゃなくて実体験だよなっ」
「そーいえば去年のその頃ルドルフのコと付き合ってたC」
お子様組があっさり暴露した。
「阿呆!」と怒鳴りかけた矢先、
「違う。生徒会の交流会で偶々その話が出ただけだ」
「なーんだ」
「それに、ルドルフの女は去年の秋じゃなくて夏前だ。秋は聖美」
跡部様ご本人が自爆した。
「あ、あほか!」
思わずツッコんだ忍足を誰が責められようか。
しかし悲しいかな、自爆した本人は全く自覚がないらしく「アーン? 俺
にバカと言いやがるとはいい度胸だな」と睨んでくるし、そっと横目で様
子を窺ったはといえば、全く気にした様子もなくデザートのプリン
を嬉しそうに頬張っている。
「…なぁ、」
「ん?」
「自分、気にならへんの?」
「何が?」
「何って……なんちゅーか、やなぁ」
「跡部の女癖の悪さ、普通のヤツだったら「不潔っ」とか言って軽蔑すん
だろ」
「し、宍戸さんっ」
直球過ぎますよっ。
跡部の眉間の皺の深さに慌てた長太郎が止めるも時既に遅く。
しかしはあっけらかんと首を横に振って笑った。
「何を今更。私がマネにならされてから何人の元カノさんに絡まれたと思
う? そんな人が「去年・一昨年は品行方正でした」なんて言われた方が
信用できないって」
そう言われてみれば。
「……さよか」
「あー、まぁ、それもそーだな」
「…ですね」
「フン」
「ウス」
何も分かっていないお子様組がけらけらとお腹を抱えて笑う中、常識人組
は言い知れぬ脱力感に肩を落とすのだった。
そして唯一の非常識人組である跡部は、いつまでも笑い止まないお子様達
に鉄拳制裁を加えるのに勤しんでいた。
「なんやねん、二人とも自覚なしかいな」
折角、少しは進展したんかと期待しとったんに。
授業前の予鈴が鳴る中、悠然と教室までの道を歩く忍足の呟きを聞きとが
めたのは、跡部本人だけだった。
「…何がだ?」
「気付いてへんのやったら、ええわ」
忍足はそれをヒラヒラと手を振ってかわす。
が跡部を呼ぶ、その呼称が『部長』という不特定な肩書きから『跡
部』と個人を示す苗字へと代わったことに気付いたのは、今のところ彼だ
けのようだった。
next.
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自分のことには鈍い跡部様。