抉れた傷は意外と深くて、医者は「暫く跡が残るよ」と診断を下した。
それ自体は、まぁいい。
半年もしたら跡も消えるだろうということだったし、元々は顔に気を遣う性
質ではないから、別に気にもしていない。
問題は。
の隣で不機嫌オーラを出しまくっている跡部だ。
ちなみに。
今が座っているのは跡部家所有の高級車である。
予想以上の深手に保健室へ出向くと、校医はあっさりと病院行きを指示した。
仕方がないのでその足で音楽準備室へ行き、ピアノ演奏を満喫していた榊を捕まえ
て病院への付き添いを願い出ようとしたのだが。
何故か、気がつけば跡部が部長として付き添うことになっていた。
しかも融通が利く上に信用の置ける医者が揃っているからと最寄の市民病院ではな
く跡部の家が所有する病院へ有無を言う暇もなく連行された。
その行きも、そして今の帰りもこの車に押し込められた。
車に疎いでも、これが黒塗りベンツでないことだけは何とか分かったが、だ
からどこの何という車なのかまではさっぱりだ。聞きたいとも思わないし、聞いて
も分からないし覚えられないだろう。
ただ、品の良い内装と経験したこともないほどの乗り心地の良さに、かなりの高級
車であろうことは言われずとも察せられた。
滅多にない機会だ。
通常なら、この際満喫させてもらおうと存分に寛ぐところだが、残念ながら
はそれどころではない居心地の悪さに身を固くしていた。
乗り心地は良い。
なのに居心地が滅法悪い。
隣に座る仏頂面をチラチラと盗み見ては、溜息を漏らすだった。
「おい」
「……ん」
それでも、やはり金がかかっているだけのことはあるシートの心地良さにいつの間
にかうとうととしてしまっていたらしい。
「着いたぜ」
ゆさゆさと身体を揺さぶられて目を覚ますと、ふわりと何かの香りが鼻腔を擽った。
それと同時に僅かな首筋の疲れと右の肩から腕に掛けて感じる暖かさを認識する。
「え? …あれ?」
「目が覚めたか?」
声が、やけに近くから聞こえた。
「……ぅわっ?!」
「っ、おい!」
跡部の肩に頭を預けていたことに気付いて慌てて身体を離すと、逆に跡部が驚いた
表情での腕を掴み、身体を引き寄せた。
「…っぶねぇだろ、これ以上怪我増やす気か!」
「へ?」
間の抜けた声を出してそっと後ろを振り返れば、そこにあると思っていたドアは完
全に開いていて、ドアの向こう側には跡部家の運転手が驚きの表情のまま固まって
いた。
チラリと視線を落とせば見事にアスファルトの路面が見えている。
「…………あー」
「状況を理解したか?」
「シマシタ」
「よし」
ほっと息をついて、を抱き締めていた跡部の手が離れる。
すぐに外気に熱が浚われて、そんな季節でも気温でもないのに、は何故か少
し肌寒いような気がした。
「どうかしたか?」
「いや、別に…」
首を振りつつ車を降りれば、何故か跡部まで一緒に車を降りてくる。
「……なに?」
「何、じゃねぇだろ。ここまで送ってやったんだ、茶でも振舞えよ」
「はぁ?」
「オマエの部屋、何階だ? さっさと案内しろ」
「ちょっと、部長!」
「ア〜ン? まさか嫌とか言うんじゃねぇだろうな」
「言うよ! 一人暮らしの娘さんの部屋に上がりこむつもり?」
「ハン、散々人の肩借りといて、礼もしねぇ積もりかよ?」
「…そ、それは…っ」
跡部は返す言葉に詰まったににやりと笑い、オートロックキーの前に立った。
「ほら、早くしろよ」
余裕の笑みがむかつく。
それでも尚渋っていたら、オートロックのドアが勝手に開いて、その向こうから現
れた管理人に呼び止められた。
「さん、荷物預かってますよ。いつものやつ」
「……ああ。ありがとうございます」
「重いですよ」と言われて渡されたそれは、Sサイズの見た目に反してずっしりと重
く、思わずの足がふらつく。
……と、
「何やってんだ」
呆れたと言わんばかりの溜息と共に、急に両腕にかかる負荷が消えて。
「部長?」
「オラ、さっさと部屋に案内しろよ」
がふらついた荷物を片手で抱えて、跡部が偉そうに指示する。
一瞬呆けていただったが、その声に気を取り直して慌てて後を追った。
「あの…ありがと」
「アン? この程度、大した筋トレにもなりゃしねーよ」
を見下ろして尊大に笑むその態度はいつものごとくムカついたけれど、いつ
の間にかあれほどの居心地の悪さを感じさせていた機嫌の悪さは形を消していて。
釣られるようにの機嫌も昇りだす。
「ね、部長」
「なんだよ」
「緑茶と紅茶とコーヒーとハーブティー、どれが飲みたい?」
分かり辛いけれど、これがにとって最高のもてなしの言葉。
お茶に凝る
「ア〜ン? 何でもいいが、この俺に不味いもの飲ませんじゃねーぞ」
察しのいい跡部にもそれが分かったのだろう、首だけで軽く振り向いて、いつもよ
りは少しだけ素直な笑みを見せた。
next.
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ちょっとだけ、進展……進展?