それは、9月も半ばを過ぎたというのに、ただ立っているだけで汗が背中を伝い落ちていく、
そんな暑い日のこと。
「なあなあ、それ、どうすんだ?」
廊下から窓枠ごしに指差されたのは、平たい大皿に山盛りにされた白い御飯で、ただでさえ暑
い中で火を使い、心底うんざりしたクラスメイトたちが放棄していってしまった調理実習の残
りものだった。「流石は音に聞こえた金持ち学校。生徒も贅沢者しかいないのか」と妙な感心
をしながら、処分に困っていた家庭科教師からが譲り受けたシロモノだ。
「何って、余ってたからおにぎりでも作ろうかと思って」
「すげー!それ一人で食うのかよ?!」
「んな訳あるかっ!!」
びしっ!
綺麗に指が揃った手刀が額の数ミリ上でぴたりと停まった。
「おおー! 中々良いツッコミだな、侑士と張るぜ!」
「それはどうも」
それは褒めてるのか、とか侑士って誰だ、とか色々と突っ込みたい気持ちはあるが、ここでそ
れを言ってしまうとどんどん話が逸れそうな気がしたので敢えて流した。
「なぁなぁ、一個くれ!」
言うが早いかぱっと手が伸びる。
……が、
「こら!」
それより先にの手が皿を取り上げてそれを防いだ。
「なんだよぅ」恨みがましそうな視線に、それ以上に冷たい一瞥で応じた。
「手、洗ってないでしょ」
「あ」
汚れた我が手をまじまじと見る少年に溜息を一つついて、
「何が良い?」
「へ?」
「おにぎりの具。とりあえず梅おかかと昆布の佃煮と鮭フレークしかないんだけど」
これらと海苔は家庭科教師からの差し入れである。
何故こんなものが常備されているのかは謎だ。
「あ、おれ鮭!鮭が良い!!」
「はいはい、鮭ね」
はーい、と小学生のように勢いよく右手を上げた少年を横目に、は皿の上のご飯を少しだ
けラップの上にとって、手際よく一口大のお握りを結んだ。
「はい、口あけて」
「あー」
素直に開いた大きな口へ、ぽいっと放り込む。
それはすぐさま租借され、そして
「うっめー!!! すげー!! 塩加減ぜつみょー!!」
少年は叫んでぴょんぴょん飛び跳ねる。
「なーなー、もいっこ! 今度は梅かつおで!」
「はいはい」
再びあーんと開けられた口へ新たな一口お握りを放り込む。
「うっめー!!」
「んもー…何さわいでんの、岳人。ウルサイC」
疲れないんだろうかと見てるほうが心配するほどぴょんぴょん飛び跳ねる少年の横から、突然
今度は金の髪をしたとても眠たそうな少年が顔を出した。
………どっから出てきたんだろう?
「あー。おにぎり食べてるー。岳人ばっかりずるいC」
「お前も食ってみろって。すっげーうめーんだぞ?!」
少年(どうやらガクトというらしい)に文句を言いながらも、視線はじっとの手の中の
お握りを見つめている金髪少年。
「……はいはい。君は何の具が良いの?」
「お握りは梅が基本だC」
そしてその語尾はなんなんだ、金髪少年。
心中の突っ込みは悉く胸の内にしまいこんで、同じ様に一口大に結び、「あーん」とこちらが
言わなくとも口を開けて待っているのへ放り込んだ。
「おおっ。うめー!!」
「な? だろ、だろ?」
「もいっこ、なぁ、もいっこあーん」
「俺も! あーん」
はいはい。
何となくそう言われるような気がしたので既に用意していたお握りをぽいぽいっと放り込んで
やった。もぎゅもぎゅと嬉しそうに顎を動かす少年達を見ていると、気分が和んでくる。
あー……何か、雛に餌をやってる親鳥の気分だなぁ。
少年の髪が金色なだけに尚更だ。
「なぁ、それさ、本気でどーすんだ?」
一人じゃ食いきれねーだろ?
苦笑が漏れたところで、ガクト少年がちょっとだけ真面目に訊いて来た。
「ああ、どうしようか?」
「は? 決めてねーのかよ」
「まぁ適当に配ろうかと思ってたし」
どこかのクラブとか、職員室とか、引き取り手はそれなりにあるだろうと思っていたのだ。
別に自身が食べたかったわけじゃない。
ただ捨てられるのが勿体無いと思ったからで、それが誰の胃の中に入ろうが構うことはないと
思ってそう返事をしたのだが、
「ええ〜!!」
「駄目だって、そんなの!」
「他の奴にやるなんて許さないC」
「勿体ねー!!」
少年達には大いに異論があったようだ。
「じゃあどうしろっての?」
戸惑いつつ問いかけた途端、少年二人はニンマリと笑んだ。
「うちの部に差し入れてくれよ!」
「俺もっと食べたいC」
なんだ。
「いいよ、別に」
アッサリ頷いたら、「やったー!!」と金髪少年は元気いっぱいに叫び、ガクト少年は一段と
高く飛んでいた。
まぁ、これだけ手放しで喜んでもらえるなら、つくり甲斐もあるというものだし。
二人の少年に釣られたように気分が浮き立っている自分が可笑しくてクスクス笑っていたら、
はたと気が付いた。
「……そういえば、二人って、何部?」
訊いた途端、二人が何故かぽかん、とした表情でを振り返った。
「な、なに?」
「……知らねーの?」
「うん…」
「本当に?」
「し、知ってるわけないでしょ、私はあんた達二人の名前も知らないって言うのに!!」
自棄になって怒鳴ったら、二人今度は酷く嬉しそうな笑顔になった。
「俺、俺は芥川慈郎ね! ヨロシクちゃんっ」
金髪少年が勢い良く右手を上げた。
「よ、よろしく…」
「俺は向日岳人な、」
「よろしく、ってか、何で私の名前……」
そう言えば、最初から少年達はの名前を呼んでいた気がする。
下の名前を呼ばれてやっと気付いたは少し鈍いのかもしれない。
「だって、俺、の隣のクラスだもん」
「俺そのとなりー」
「は? そうなの?」
「そうそう」
「うちの学校、殆ど持ち上がりで外部入学の奴って元々少ないけど、転入生はもっともっと少
ないからな、名前なんかすぐに回ってきたぜ」
「ああ、なるほど……」
しかも、2年生の2学期から、なんていう中途半端な時期の転入生は目立って当然というわけ
だった。
「で、二人とも、こんな所で長々油売ってるけど、肝心の部活は良いの?」
最初に話しかけられてから、かれこれ20分は経っている。
部活があるなら、いい加減不味いのではないだろうか?
「うおっ?! やべえ!!」
案の定、岳人が顔色を変えて叫んだ。
がしっと慈郎の襟首を掴む。
「行くぞジロー!!」
「えー? 俺もっと食べてから行くー」
焦る岳人とは対照的に、慈郎は暢気にに次のおにぎりの具を指示している……が、
「馬鹿! 早く戻らねーと跡部にどやされっぞ!」
「俺怖くねーもん」
「俺は知らねーからなっ」
「いーよ」
「……君は良いかもしれないけどね、芥川君。部活真面目にやらない人には差し入れはしたく
ないかも。気分的に」
梃子でも動きそうにない慈郎に焦る岳人を見かねて、は溜息と共に助け舟を出した。
それに、この蒸し暑い中、熱い大量のご飯を全て差し入れ用のお握りに結ぶ自分の労力を考え
れば、楽をしている人間にあげたくなないと思うのは人情というものだろう。
「……そうなの?」
「差し入れって、頑張ってる人にしたくなるものだからね」
雨に濡れた捨て犬のようにしょげた顔で問われて、つい「芥川君にはあげるよ」と言ってしま
いそうになったが、そこをぐっと堪えて重々しく頷いて見せた。
視界の端で、岳人が感謝の眼差しをに向けているのが見えた。
「じゃあ、頑張る」
「うん。頑張れ」
「よしっ、じゃあ行くぞ、ジロー!!」
並んで走り去る背中にいってらっしゃいと手を振りかけて、
「あ、ちょっと、結局どこの部なのよー!!」
慌てて叫んだ。
「テニス部ー!!」
「差し入れヨロシクねーー!!」
あっという間に小さくなった人影が、遠くで大きく手を振っていた。
「……元気な人たちだなぁ」
呟いて、は再び作業を再開した。
どこか表情が明るくなったことには気付かずに。
これが、発端だった。
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跡部夢。
出てこないけど、跡部夢。
岳人夢でもジロー夢でもなく。(汗)
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