あれは旅立ちの朝。
居住まいを正し、頭を下げたに綱手様は感慨深げに呟いた。
『お前は、アタシの教え子の中でたった一人、人を助ける為だけに医療忍術を使う
医者になるんだね』
彼女が伝説とまで謳われた忍者であるとはシズネから聞いていた。
その付き人をしているシズネ自身も凄腕の忍者であることも、何となく知っていた。
忍者がどういうものかを、そのときのはまだ良く分かっていなかったけれど、
歳もそう変わらないであろう自分をまるで娘にするように暖かく見守る二人の優し
くも厳しい瞳が、今までに山のような屍を見つめてきたのだとそのとき悟った。
の窺い知ることの出来ない壮絶な世界を…
だからこそ。
彼女らから教わったこの特異な力で誰かを傷つけるようなことは絶対にしないと、
あの時そう心に誓ったのに。
ごめんなさい。
世界と引き換えにしても欲しいモノ
首や手足、胴に巻きついてるものの正体なんてどうでもよかった。
そんなことに頓着している余裕などなかった。
ただただ、目の前で力なく地に伏せるカカシさんが気がかりで。
「カカシさん! 起きて! カカシさん!!」
少しでも動いてくれればと思っても、ぴくりともせずに。
彼の背から黒い筋が地面へと流れているのが月明かりに辛うじて見えた。
「動くな、女」
ぐっと首を巻いていた生暖かいものが首をもたげた。
「?!」
「あの男ならもう手遅れだ」
吐息を感じるほど間近にある男の顔。
だが、身体はの後ろで彼女を羽交い絞めにしているはずで。
ぐにゃりと伸びた首。
四肢に巻きつく蛸のような手足。
その醜悪さにの体が強張る。
だが。
それよりも。
「……手遅れ?」
「ああそうだ。あの男の背中に刺した刀の刃には、たっぷりと毒が塗ってあるから
な。即効性の、強烈なやつをな」
「毒…」
「馬鹿な男だ。女に気を取られて隙を作るなんざ」
くくくっと笑う忍者は気付けなかった。
カカシに視線を向け、それから俯いたを、怯え、嘆いているのだと思い込ん
だ。
「さぁ、お前の妙な術のせいで思わぬ手間が掛かった。これ以上ぐずぐずしていて
は俺の命に関わる」
それが文字通り致命的な過ちだと気付けなかった。
「抵抗されても面倒だ。悪いがお前の手足、砕かせてもらおう」
ギリ、絡み付いた手足がの身体を締め付ける。
だが。
「……せ」
苦しげな呻き声を漏らす代わりに、はぼそりと呟いた。
「ん?」
「離せ。汚い手で私に触んな、下衆」
「なに?!」
昂然と頭を上げたの表情には怯えの色などどこにもない。
それどころか、手練の忍者を向こうに回し、突き刺すような鋭い瞳で睨みつける。
「 聞こえなかったのか? 私に触るなっつったんだよ」
「……どうやら自分の状況が分かっていないようだな」
言うなり、男の首がぐるりとの背後に戻った。かと思うや、首に5本の指が
食い込んできた。
「このまま縊り殺してやろうか?」
「それが出来るんならやってみれば?」
フン、と鼻先でせせら笑うに苦しげな様子は一切見えない。
首はともかくも四肢は今もギリギリと骨が砕けんばかりに締め上げられているとい
うのに。
「……?」
しかし数秒も経たぬうちに、誘拐犯の表情が怪訝そうに歪められた。
普通ならとうに手足の骨が悲鳴をがけ、砕けているはず。
それだけの力で締め上げているというのに。
の手足は折れるどころか微動だにせず立っている。
「…なんだ?」
「気が済んだ?」
だったら、離せ。
が告げた瞬間、バチッ!と電気がショートするような音と共に巻きついてい
た忍者の身体が弾かれた。
「何?!」
すぐに体勢を整え、に再度襲い掛かろうとするのだが、動かない。
「くっ! またかっ」
「動けないだろう。チャクラでお前の身体を固めた。…油断したな」
の声はどこまでも冷たく、硬い。
表情は無に近く、瞳は鋭く誘拐犯の忍者を射抜く。
木の葉の里でも誰も聞いたことのないその声と口調は、彼女が本気で怒っているこ
との証だった。
その華奢な身体から一呼吸ごとに炎のようなチャクラが全身から溢れ出している。
それを見て初めて。
男は己の認識が謝っていたことに気がついた。
ただの民間人? とんでもない!
伝説の三忍の一、綱手姫の弟子。
その言葉の意味を、今彼は初めて理解しようとしていた。
「……始めに意識を奪ったときに手足を砕き、縛り上げるべきだったな……。明ら
かに、お前をただの女だと思っていた俺達の失敗だ」
「無駄なお喋りをしている余裕はないと思うけどね」
「…っく?!」
の言葉どおり、吐き出した分の呼気を吸い込むことは出来なかった。
何を、と視線だけで問えば
「喋って肺から空気が抜けた状態になったときに固めさせてもらった」
息が吸い込めないでしょ?
抑揚の乏しい声が簡潔に答える。
「このまま窒息させても良いけど、アンタの援軍が来ても困る。…いや、それより
何より、一刻も早くカカシさんの治療をしなきゃ。アンタにかかずりあってる暇な
んかないの」
と言う訳で。
だらりと両脇に下げられたままだったの右腕が突き出される。
その指先が中途半端に曲げられた途端、男が低く呻いた。
その全身に、いきなり強い負荷が加えられたのだ。
まるで男の周囲だけ重力が何倍にもなったかのように。
だが、膝をつくことは出来なかった。
のチャクラが全身を固めているからだ。
「…せめて、あまり苦しまないように一気に逝かせてあげるよ」
淡々と告げた己の言葉に苦しめられたかのように、一瞬、の目が悲しげに細
められた。
『、覚えておきな』
あれは、旅立ちの挨拶をしたとき。
『お前は、誰も傷つけない医療忍術遣いなんだよ』
別れ際の綱手の声が脳裏に蘇る。
『その意味を、忘れるんじゃないよ』
あの時自分は、確かに「はい」と答えたのに。
あの言葉の意味は今もこの胸に痛いほど刻み付けられているのに。
「 ごめんなさい、師匠」
は我知らず呟いていた。
「だけど、カカシさんを殺そうとしたこいつを許すことは出来ないんです」
記憶の中の二人に心の中で頭を下げて。
ぐっと指先に力を入れようとしたその瞬間 。
「はい、そこまで」
ぽん、と。
強張った肩を叩かれて。
びくぅっ!!っと身体を跳ねさせて振り向いた先には。
「ダメデショ、さん。その先は俺達の役目だから」
額宛を上げて両目を曝したカカシがにっこりと微笑んでいた。
next.
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怒りが心頭に発すると表情がなくなって口調が変わるのは私です。