奏国の首都・隆洽。
首を限界まで曲げて見上げても見通すことの叶わない隆洽山のはるか頂上、そこに築かれ
し水の王宮・清漢宮の更に奥、限られた者しか住まうことはおろか、立ち入ることも出来
ない後宮の中心、典章殿の一室を前にして、の足が止まった。

身に纏っているのは宮殿の護衛武官のものと大差はない。だが、彼女は武官ではなかった
し、勿論女官でも官吏でもない。そもそも奏の出身ですらない。
それでいて、彼女はこの典章殿に居室を与えられ、かつここでの行動の自由を王より直々
に与えられている身だった。


異例中の異例の待遇を得ている彼女は今、部屋の主に声のを掛けることを躊躇っていた。


半刻前、既に訪問の先触れを出していることを考慮に入れれば、およそ彼女らしくない行
動であることは確かだ。

しかし、その逡巡も長くは続かなかった。

なぜならば、彼女が意を決するより早く、堂室の扉が内より開けられたのだから。


「そんな所にいつまで立っているつもりなんだ?」


仏頂面がを出迎えた。


「どうして、外にいるって解った?」
「愛の力だな」


あまりにもさらりと言われたので。


「どうした? 早く入れ」


そう促されるまでマジマジとその顔を見つめてしまっていた。


「利達って、そういうこと言う人だったんだ?」
「知らなかったか?」


うん、と素直に頷くと仏頂面が更に険しくなった。


「今までも何度も言ってきたはずだけどな」
「あれはだって、本気でしょ? でも今のは冗談」
「本気だ」
「え?」
への言葉はいつでも本気の言葉だから。さっきのも冗談じゃない」


再度固まってしまったを置いて、利達は小卓の上に用意させておいた茶器で手際良
く茶を淹れた。
幾許も待たない内に、ふんわりとした芳香がの鼻を擽る。


「いつまで固まっているんだ。早くここへ来て座れよ」


ふと振り向いた利達が呆れたように笑った。
もつられるように苦笑して、椅子の一つへ腰を下ろす。
「ほら」と手渡された小ぶりの茶碗は、以前にここを訪れたときが「好きな柄だ」
と何気なく漏らして以来、彼女専用となった。
茶の香りも、間違いなく彼女が好きな銘柄であることを示していて。


「…………」
「どうした?」


茶碗を持ったまま口をつけようとしないを訝って顔を覗き込んでみると、
逆に上目遣いにじっと彼を見上げてくる。


「…………私って、もしかしてすごく愛されてる?」
「何を今更」
「そうよね」


眉をひそめる利達が可笑しいのに愛しくて、はくすくすと笑声を零した。
それから、やっと茶に口をつける。


「……おいしい」
「それは良かった」


もう何度二人きりのこんな時間を過ごしただろう。
愛しくて、何よりも大切にしたい時間を自ら捨てようとしている自分は、どこかおかしい
のかもしれない。


「……利達。いえ、奏国王太子英清君様」


茶器を小卓へ戻し、は椅子から立ち上がってその隣に膝を着いた。





利達の咎めるような呼び掛けにもは応じずに、組んだ両手を目元まで持ち上げた。
それだけで、身に纏う雰囲気が一変する。
他者を容易に寄せ付けない、独特の厳しさ。


「今宵はお別れのご挨拶に伺いました」
「………景に帰る、か」
「はい。卓郎君からお聞きしたところ、此度起たれた景王におかれましては人材が足りず
にご苦労なされておられる由。僭越ながら我が微力を持ってお手助け申し上げたく」
「……ったく、利広の奴、余計なことを言いやがって」


英清君利達はその地位に相応しからぬ言葉遣いで弟を一頻りくさした後、未だ礼の形を崩
そうとしない恋人を無理矢理立たせた。
代わりに、自分の膝の上に座らせて、その体をぎゅっと抱きすくめる。
腕の中にすっぽり納まってしまうその細く儚い体も、それとは反対に強靭で豪胆で、それ
でいて優しく暖かい精神も、彼女を形作る全てがこんなにも愛しいというのに。


「利達……?」
「貴女が故郷に戻りたいというのを引き留めることなど私に出来るわけがないだろう。
が普通の仙ならば、仙籍を楯にとって許さないと言うことも出来るだろうが、貴女
は何にも縛られることのない地仙なのだから」


ぎゅっと抱く腕に力を込めても、閉じ込めることなど出来るはずもなくて。
遣る瀬無い思いで細い背に指を這わす。
ビクッと体を震わせるが可愛いと思った。


「貴女の翼を手折って籠に入れておきたいと思うこともあるよ」
「利達」
「だけど、それをしてしまったらでなくなってしまうから」


自由な心を持つに自分は惹かれたのだから、と。


「行っておいで、
「………いいの?」
「ダメだと言ったって聞かないだろう?」
「それは………そうかな?」


仕方がない、とでも言いたげに微笑んで、ふっくらとした唇に軽く口付ける。
不意打ちに耳まで赤く染めた恋人の耳元で、利達はそっと囁く。


「でも、時々は帰ってくるんだよ。じゃないと淋しくて仕方がない」
「はい。……あ、でも」
「何だ?」
「流石にそう頻繁には休みは取れないかも」
「………奏国宋王の名で親書を出すことにしよう」
「良いの?」
「良いんだよ」


くすくすと嬉しそうに笑う恋人が自分の首に腕を回せば、無粋な話題はそれで終わり。

後はもう、恋人達の甘い時間。




















「あれっ、どうしたのその格好」


すっかり旅装に身を包んだに卓郎君が頓狂な声を上げれば、


「誰のせいだと思ってるんだろうね?」
「ほんと、気楽でいいわね、お兄様」
「淋しくなるな」
「……利広、お前この先半年は好き勝手に外に出られないと思え」


家族全員から冷たい視線を向けられることとなった。
ひとり昭彰だけが気の毒そうに微笑している。
それに居心地悪げに苦笑して見せて、


「じゃあ、やっぱり行くんだ?」
「はい。本当はただの個人として行くつもりでしたが、皆様のご好意で奏国からの使者に
任じて戴きました」
「そりゃ当然だよ」


叫ぶように言ったのは当然ながら明嬉で、文姫もそれに同意する。


「可愛いを一人で放り出すなんて出来るわけないじゃない」


齢も百をとうに超えた身で、しかも外見上は自分より年下の文姫に可愛いと言われるのも
くすぐったい気がするのだが、実際に彼らは自分などより遥かに長い年月を生きているの
だからと、はこっそり口を手で押さえた。


は私たちの大事な娘だからな」


先新までもがうんうんと頷くに至って、利広が呆れたように皆を見渡した。


「愛されてるねぇ、。実の息子の私より大事にされてるよ」
「何を他人事みたいに言ってるのよ。お兄様だってのこと気に入ってるのは解って
るんだから」
「そりゃあ、まぁ、大事な将来の兄嫁だしね」
「なっ、利広様っ!」
「それなら、その大事な兄嫁を無事に景国まで送り届けてくれるだろうな」


「兄嫁」の言葉に頬を染めたとは対照的に、利達は平然と弟に告げる。


「あれ、行っても良いの?」
「どうせお前のことだ。ダメだと言っても私たちの目を盗んで行くつもりだろう。だった
らついでに多少でも役に立ってもらった方がマシだ」
「……ひどい言われようだなぁ」


最初に堪え切れなくなったのはで。
櫓一家の朝の食卓は家族全員の笑声に包まれた。













数日後、は赤い髪と碧い瞳が印象的な慶国景女王の前に立った。





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は、初十二国夢でございます。
しかも御相手は英清君利達様です。かなり偽者ちっくです(汗)
さくらさま、こんなのでも宜しいでしょうか?
いつでも返品可です。

七瀬さくら様のみDLF