どうして、と何度も思った。
あの時、の後を追いかけて、強引にでも何でもとにかく誤解を解いて許しを
乞えば良かったのに、どうしてそれが出来なかったのだろう、と。
「…で? その男は結局、本当にさんの新しい恋人だったんですか?」
「いや……幼馴染と言うか、昔の知り合いだって言うちょった」
「なんだ、話せてんじゃねーか」
だったら問題ないだろぃ。
気のぬけた表情をした丸井に、しかし仁王は暗い顔で頭を振った。
「なんだ?」
「1回メールが来て、そこに書いとっただけじゃ」
『誤解されたくないので』と言う件名で飛び込んできたメールには、あの男が単に
小さい頃に良く遊んでもらった近所の知り合いで、偶然久し振りに会ったのだと、
ただそれだけが簡潔に愛想もなく書いてあった。
そのメールに返信しても、電話を掛けてみても、電源が落とされているらしく
からの反応は皆無。
学校で顔を合わせても挨拶すらしてくれない。完全無視。
おまけに、自分を嫌ってるの親友が「それみたことか」と得意げな顔で常に
彼女の傍でガードしている為、近寄ることすら出来なくて。
「流石に凹む……」
嫌われてしまったのかと。
そう思えば強引に近寄ることも憚られて。
「何を埒もないことばかり言ってるんです」
机に突っ伏した仁王の頭に、柳生の溜息が落とされた。
「こんなところで腐乱死体ばりに腑抜けていてもどうにもならないことは分かって
いるはずでしょう。さっさとさんのところへ行って謝って来たらどうです?」
「それが出来たら…」
「するんですよ」
がしっ。
柳生が言い切ったと同時に、仁王の腕が両脇からそれぞれ丸井とジャッカルに抱え
込まれた。そのまま強引に立ち上がらされ、柳生が開いた入り口のドアへと押しや
られる。
「お、おいっ」
「観念しろよ、仁王」
「仁王が凹んでるのはどうでもいいけど、は放っておけねーだろぃ」
「ジャッカル! ブン太!」
「立海テニス部員たるもの、敵前逃亡は許さんぞ、仁王」
「さんに許してもらえるか、きっぱり振られるまで部には出入禁止だから」
「……だ、そうだ。仁王、健闘を祈る」
半ば呆然とする仁王の目の前で無情にもドアは閉められ……たが、すぐに開けられ
た。
「ああ、言い忘れていたが、が家に帰っている確立は62%だ」
それだけ言い残してまたパタンと閉められた。
「62%って……また中途半端な数字じゃな、達人……」
ひゅぅっと一陣の風が吹き抜けた。
どうして、とまた繰り返した。
何度も何度も、頭の中で、答えの返らない問い掛けを繰り返して、そうして答えが
返らないことは分かっているのに勝手に悲しんでいた。
どうして、他の女の子といたの?
どうして、私じゃない人と腕を組んでいたの?
どうして?
「私のこと、もう飽きちゃった…?」
それは考えるのも怖くて。
仁王の口から決定的な言葉を聞かされるのが怖さに携帯の電源は落としたまま。
嫌われたのだろうか。
気付かぬ間に何か怒らせてしまった?
もしそうなら、謝ろうと思うのに。
謝らせてくれる間もなく、次が出来てたのが酷く腹立たしい。
それ以上に、悲しい。
「このまま、別れなきゃいけないのかな…?」
言葉と一緒に涙まで零れて落ちた。
多分、仁王に別れ話を切り出されたら、は頷いてしまう。
どんなに嫌だと思っていたとしても、仁王がそれを望むのなら、自分だけが恋人と
いう肩書きに縋りついていても意味がないと知っているから。
仁王の邪魔はしたくない。
仁王の邪魔にはなりたくない。
だけど。
零れる涙と震える肩は、その時のための心構えなのかもしれない。
「……におう、くん」
「嫌じゃ」
「?!」
丸めた背中にぶつけられた不機嫌な声の持ち主なんて、分かりすぎるほど分かって
いて、それが逆にの心臓を凍らせる。
「に、仁王くん? どうして…」
「残りの4割に賭けた。俺の勝ちじゃ」
椅子から立ち上がろうとしただったが、覆い被さるようにして抱きしめられ
たためにそれも叶わず。
仁王の意味不明な言葉に首を傾げるだけ。
そんなに仁王は眉を切なげに顰めて
「知っとったよ。時々、がここに来ちょったこと。沈んだ顔しとるときは
いつも此処に一人で居たこと。……最近は来てなかったみたいじゃから、いるか
どうかは賭けじゃったけど」
「どうして知っているの…?」
いつから?
広い立海の校舎の片隅、使われることなく放置されている第3音楽室のことなど、
教室棟からも離れている上に最上階の最も階段から遠い場所に位置してることも
あって、生徒からも教師からも殆ど忘れられた存在なのに。
そこにが入り込んでいることを、何故仁王が?
は教えた覚えはない。仁王だけでなく、誰にも。
ここはだけの秘密の場所だから。
「知っとるよ、のことは何でも、知りたかったから」
時々、校内で姿が見えなくなるのに気付いて。
そんな時は大抵、浮かない顔をしているときが多かったから、余計に気になって、
むきになって探したから、見つけるのにはそう時間は掛からなかった。
けれど。
そうしてやっと見つけても、ぼうっと窓の外を眺めるの表情があまりにも悲
しげで。
何と声を掛けたら良いのか分からなかった。
「俺には言えんことなんじゃろうかって、ずっと思うとった」
「仁王くん…」
「俺に一言相談してくれれば、絶対を笑顔にする自信がある。…けど
はここに来ちょった。俺には泣き言なんか一つも言うてくれんと」
それが寂しかった。
仁王はそう言って微笑む。切なげに。
「、俺はに一つも信用させられん情けない男じゃ」
「そんなこと…っ」
「けどな」
ぎゅっと抱き締める腕に力が篭る。
それは痛いほど。
まるでを逃がしはしないとその腕自身が意思表示しているかのように。
「と別れるんは絶対に嫌じゃ。が俺を信用できんのなら、信用して
貰えるまで頑張るから、何でもする、から。だから頼むから」
俺を捨てんといて。
搾り出すように告げられたその声で、はやっと気がついた。
自分を痛いほど抱き締めているこの力の篭った腕は、抱き締めているのではなく
『縋って』いるのだと。
は仁王に捨てられるのだと思っていたのに。
仁王は逆にに捨てられるのだと思っているのだ。
「ど、して?」
分からなかった。
「え?」仁王が背後で顔を上げたのが分かった。
「だって、昨日のヒト…」
「あ! あれは違う! アイツとははたまたま会っただけで、何もないから!!」
「でも、腕組んでた……」
「それは俺が急に立ち上がったから、バランスを崩したアイツがしがみついただけ
で……、とにかくなんでもないから!」
「ホント…?」
確かめるように首だけで何とか振り向いたの、文字通り目と鼻の先で仁王は
彼らしくなく必死な形相で何度も何度も頷いていた。
その様子が妙に可笑しくて。
クスッ…
思わず笑みが零れた。
「? 信じてくれんの?」
へにゃりと下がった眉が可愛くて、は更にくすくすと笑いが止まらなくなる。
「〜」
「ごめんなさい。信じる、仁王くんのこと」
ちゅっ。
わざと音を立ててすぐ近くにある頬にキスをしてみせると、ぱちくりと見開かれた
綺麗な瞳にの笑顔が映りこんだ。
「い、今…」
「仁王くん、首が痛いんですけど?」
「え? あ…」
一拍も二拍も間を置いて漸く緩んだ腕の中ではくるりと身を翻して。
そのままするりと抜け出した。
「?!」
「帰ろ? 仁王くん」
「……うん」
差し出された手を少しばかり複雑な心境で握る仁王だった。
「……どうせなら、口にして欲しかったのぅ……」
小さな呟きは、の耳に届いたのか、届かなかったのか。
fin……?
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オノセ様に頂いた、10000HIT代理リク「ENVY」のその後の二人。
長らくお待たせしてしまった上に、話も長くってごめんなさい!
二人の『犬も食わない初喧嘩』でした。
テニス部の皆に愛されてるヒロインさん。
多分、「仁王に惚れられるなんて災難な…」という同情票も多数だと思われます(笑)。
赤也が登場しないのは、仁王が高校1年の設定だから、なんですよね。
(書いてて思い出しました・苦笑)