仁王雅治は見事なまでに萎れていた。
いや、寧ろ腐っているのかもしれない。腐って、萎れて、へなへなのぐたぐた
のふにゃふにゃである。
真田の鉄拳が飛んでも幸村の笑顔が空気を凍らせても、反応がない。
終いには「本当に体調が悪いのかもしれない」と言われて部室へと押し込まれた。
この時点でもまだ「本当に」「かもしれない」と疑惑一杯の目で見られてしまうあ
たり、詐欺師の面目躍如と言うべきか、日頃の行いの悪さが如実に表れたと言うべ
きか。
「 どうしたんですか、一体」
見ていられない、とばかりに溜息交じりの呆れ口調で問うてきた柳生に、仁王は脱
力仕切った態で
「喧嘩、した」
「何をしたんです?」
辛うじて答えれば、即座に突き刺すような咎める視線が後頭部に刺さった。
それが一組だけでなく複数なのは、レギュラー陣全員がの控えめな態度や寛
容すぎる優しさに下心なく好意を抱いているからに他ならない。
「何も…」
「していない、なんていう見え透いた嘘は言わなくて良いから、さっさと白状しな
さい」
繰言をぴしゃりと撥ね付けられて、仁王は思い出したくもないのに何度も脳内にリ
ピートし続ける昨日の出来事を、またもや思い出していた。
「仁王くん」
「どうした?」
いつもどこか遠慮がちに呼び掛けられるその声を、仁王は聞き逃したことがない。
それは例え級友たちが帰宅と部活の準備に騒然とする教室であっても変わらない。
騒がしい中でともすれば掻き消されそうな声に素早く反応した仁王は、の沈
んだ表情に出逢って僅かに怯む。
「…?」
「あの…今日って部活、だよね?」
「ん? まぁそうじゃろ」
なにせ毎日あるのだから。
今更それがどうしたのかと首を傾げた仁王に、は至極申し訳なさそうな表情
で「練習終るの今日は待てないの」と頭を下げた。
「なんで?」
いつもは図書室か教室で待ってくれているのに、と少しばかり焦って訊ねれば、何
のことはない、学校ではなく県立の図書館に借りた本の返却期限が今日だっただけ
のことで。いつもは週末の午前中に返しているのが、今回に限って1冊だけ返し忘
れてしまったらしい。
読書好きを通り越して本の虫、活字中毒の彼女が県立・市立・学校の図書館と3箇所
から常に何冊かの本を借りて読んでいるのを付き合う前から綿密なリサーチによっ
て知っていた仁王が「ええよ」と快諾するとは安心したように肩の力を抜い
て微笑んで、その様が可愛くて堪らない、と仁王はだらしなく目尻を下げた。
しかし、が先に帰ってしまうということは、きつい練習の後のご褒美とも言
える帰宅デートがなくなってしまったということ。
少しばかり仁王のやる気が削がれてしまったのは仕方のないことだろう。
「面倒くさいのぅ」
真田が聞いたらまず間違いなく鉄拳制裁ものの言葉を呟きつつ、それでも向かった
部室だったが。
鍵が掛かっていた。
《本日、コート整備の為部活動は中止》
簡単な張り紙まである。
そういえば先々週そんな連絡が回ってきていたような、と朧な記憶が蘇ってくる。
やる気のない回覧が回ってきたときは丁度と目前に迫った休日の過ごし方に
ついて相談していた最中だったから、ろくに読みもせずに次へ回したのだった。
そうと決まれば、こんなところで暢気に記憶を掘り返している暇などない。
慌てて後を追いかけようと携帯を取り出してコールするもは出ず。
どうやら電源が入っていないらしく3コールで留守電に切り替わる。
とりあえずメッセージを残しつつ駅へ向かった仁王だったが、しかし。
「あれー? 雅治じゃん。サボリー?」
明るい声に呼び止められてしまった。
振り返れば、その声の主はと付き合う以前によく遊んだ女で。
「。誰がサボリじゃ。人聞きの悪いこと言うな」
「えー? じゃ、今日は部活休みなの?」
「ああ」
頷けば、「んじゃ、久し振りに遊び行こう!」と問答無用で腕を絡めとられた。
「おい」
それでも一応、その腕を振り解いての後を追おうとしたのだが、何度電話し
てもは捕まらず、はそれならいいじゃないかとしつこく誘う。
「最近雅治付き合い悪いよー?」
「……仕方ない、の」
そういえば、と付き合うようになってからはあまり派手に遊ばなくなってい
たな、と思い出して。
も捕まらないことだし。
このまま真っ直ぐ家に帰っても時間を持て余すだけだしと、言い訳めいた理由付け
ならいくらでも思いつく仁王がの誘いに頷くのに然程時間は掛からなかった。
「……それで、その女性の誘いにホイホイ乗ったんですか」
「まぁ……暇じゃったし」
相棒の冷たい視線に仁王はきまり悪げに指で頬を掻く。
「最低ですね」
「鬼畜だね」
「破廉恥な」
「屑だな」
「仁王、お前さいあくー」
仲間達の非難も、ここまでは多少凹みはするものの聞き流せた。
が。
「、可哀相にな」
というジャッカルの呟きにだけは、心臓を槍で突き刺されるような痛みが走った。
「……で、君のその浮気がさんにばれたんですか?」
「いや、浮気じゃなくてただ一緒に飯食ったりしただけじゃし」
「同じことでしょう」
すっぱりと切って捨てられる。
反論できないのは自分でも後ろめたいのを自覚しているからだ。例え疚しい気持ち
がなかったとしても、から見ればやはり裏切りだと思われるだろうと。
実際、その通りだったのだし。
そして、それは仁王も同じこと。
あの勝利の余裕に満ちた眼差しを思い出しただけで腸が煮え繰り返る。
に腕を引かれて誘われるままにファーストフードで軽く食べて。
その後は気になった店を冷やかしつつ街を当てもなくぶらついて、それにも飽きて
休憩がてらお茶でも飲もうと目に付いたコーヒースタンドに入って暫く経った頃。
それが聞こえた。
「やっ、もー、洋平さんってばすぐそうやって茶化すっ」
「悪ぃ悪ぃ。ついクセでさ」
「だ、だから頭撫でないでって…っ」
「いやー、はかわいーなー」
それはまるきりラブラブバカップルの会話。
普通なら、「人前でよくやるな」とでも呆れつつ聞き流すところだろう。
それが、の声でなければ。
「雅治? どーしたの?」
顔色を変えて急に立ち上がった仁王の腕を、が掴んだ。
それをそのままに背後を振り返ったせいでが仁王の腕に縋りつくような体勢
になってしまった。
けれど仁王はそんなことを頓着する余裕もなく。
「髪の毛ぐしゃぐしゃになるって!」
「かわいーかわいー」
「もーっ」
数メートル離れた店の奥まった席に向かい合わせに座ると見知らぬ年上らし
い男。そいつの手はの頭に置かれていて、は大袈裟に身を捩りつつも
笑顔で、本気で嫌がっているわけではないとわかる。
満面の笑顔を向け合って、
親密そうに言葉を交わして。
「?!」
それ以上見ていられなくて呼ばわった声は、みっともないほど震えていた。
「仁王クン?!」
「ちゃん、誰だ?」
驚いて振り向いたの肩に、男が手を置いた。
「っ!」
触るな。
ソレは俺のモノだ。
吐息から髪の毛一筋に至るまで、触って良いのは俺だけだ。
目撃したその瞬間に鉄砲水の勢いで溢れ出す独占欲そのままに相手の男を睨みつけ
れば、驚いたような表情をしたのは一瞬だけ、その男はすぐさまこちらを挑発する
ようににやりと笑って見せた。
一気に頭に血が上った。
「仁王、く」
「そいつ、誰?」
の言葉を遮って、短く問う間も男を視線で刺し殺さんばかりに睨む。
こんなにも簡単に相手の挑発に乗せられるなんて、普段の彼なら有り得ないこと。
けれどに関することだから。
『詐欺師』の二つ名に似合わず、仁王の血はあっけなく沸騰する。
だが、それもが次に口を開くまでだった。
「……どうして、こんなところにいるの?」
か細く、力ない声は震えていた。
すぐさま視線をに戻せば、暗く翳った瞳は仁王ではなく微妙に逸れて……そ
こでやっと仁王は自分の腕に絡みついた存在に気がついた。
「 あ!」
「今日、部活じゃなかったの?」
「いや、あの、それが偶々休みで」
「部活あるって言ってたのに?」
「すっかり忘れてて……すぐにに電話したんじゃけど、繋がらんかった」
これは違うのだと言い訳の為に口を開くより早く、が訊いてくる。
しどろもどろになりながらもそれに答えた。の、だが。
「図書館は携帯禁止だから。いつも切ってるの」
「そ、そか」
「私に電話して、でも繋がらなかった。だから その人とデートしてたんだ?」
「、それは誤解…」
「洋平さん、出よう。……もう帰りたい」
「ああ」
結局何の言い訳もさせて貰えなかった。
は仁王を見なかったし、話したくもない、と全身で拒絶していて。
なのに相手の男には肩を抱かせて嫌がりもしない。
仁王を拒否し、他の男に寄り添う。
絶対に見たくないと思っていた光景を目の前に突きつけられて、それでも目を逸ら
せずに凍りついた仁王のその視線の先で、洋平と呼ばれた男がふとこちらを見た。
!!
ほんの一瞬。
憐れむように細められた男の目。
仁王雅治が気迫負けした瞬間だった。
next.
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ちょっと別ジャンルの人出張ってますね・・・(苦笑)
ま、彼の出番は此処までですので。