世の中には、独りが平気な人間というのが確かに居て、


私は確実にその中の一人。


そして、彼もそうだと思う。












何の話題だったか、もう覚えていないけど、発端は慈郎だった。


「鳳はこの部で一番優C〜よね」


そんなことを言い出すものだから、無駄に自信と自意識が過剰な他のレギュラーメンバー
たちが黙っているはずがなく、当然ながら「一番は俺だ」と言い合いが始まってしまった。
当然万事控えめな長太郎と樺地、それからクールな若は戦線不参加。

莫迦々々しい。

こっそりついた筈の溜息が聞こえてしまったのだろうか、


「なぁっ、は誰が一番だと思う?!」


……そこで私に振らないでよ、岳人。


「なぁなぁっ、誰だと思う?」


岳人は期待に満ちた瞳で答えを急かす。

いや、岳人だけじゃなかった。
期待に満ちた瞳―――それらは明らかに「当然、俺だよな」と言っている―――で見てい
るのは、跡部に忍足に宍戸に……なんで慈郎まで見てるのかしら。
君はさっき「長太郎が一番優しい」って言ってなかったっけ?

状況的に私の意見で決着がつくことになるらしく、下手に逃げることも出来そうにない。

私は溜息を一つ吐いた。


「私が部で一番優しいと思うのは―――」
「うんうん」
「勿論俺やんなぁ、
「何言ってやがる。俺に決まってるだろ」
「いや、それはねーだろ」
「跡部、意地悪だもんね〜」


わざと間を置くと、オロカモノドモは勝手なことを言っている。






「跡部よ」


私はにやりと笑って言ってやった。







たっぷり3秒程数えた頃、


「えええええーーー?!」


という5人分の叫びが部室に響いた。
樺地と若も目を見開いてる。
「ふっ、当然だな」なんて言ってる跡部だって、私が言った直後目を瞠って固まってたの
をしっかり見てたんだから。自信過剰な割に自分が選んでもらえると思ってなかったんだ
から、変なところで謙虚なのよね。


「何でだよ、跡部なんて一番意地が悪くて優しくなんかねーじゃん!!」
「……おい」
「ぃて!」


ドンッと結構な音がして考えナシの岳人の背中に跡部の左の足形が綺麗にプリントされた。
……ご愁傷様、岳人。


「どーして? 、どーして跡部が一番なの?」
「このテニス部の中で、優しいって言葉の意味を一番良く解ってるのが跡部だからよ」


くだらない話はこれくらいにしてさっさと着替えなさい。
そう言い置いて、私は書き終わった部誌を榊監督に提出すべく部室を出た。




このときの私はさっさと仕事を終えてしまって家に帰ることしか考えていなくて。




忍足が私を見ていたことなど気が付きもしなかった。











「……あれ?」


特に訂正もなく無事に部誌を受け取って貰え、そのまま帰るつもりだったので下足ホール
へ向かった私は、そこに佇む人物が誰なのか気付いて首を傾げてしまった。

あの長めな髪と特徴的な眼鏡は間違えようがない。


「忍足? なんでいるの?」
「なんでとはご挨拶やな」


声を掛けると苦笑されてしまった。


「送ってったるわ、
「え?」


さらりと言われ、ますます首を傾げる。


「当番の佐々木君は?」
「先、帰した」
「は? 何で?」


テニス部の練習はナイター設備が整っていることもあって夜の7時8時頃になる事もし
ばしばで、そんな中女の子が一人で帰るのは危ないからと1年生の中で方向が同じ部員が
順番で送ってくれる決まりになっている。
私と比較的に家が近いコは8人いて、今日の当番は佐々木君のはずだった。

だけど、彼の名前を出した途端、忍足は何故か眉を顰めた。


は佐々木と帰りたかったんか?」
「え? いや、そんなわけじゃないけど」


忍足はハードな練習で疲れてるでしょうに。
マネージャーとしては、しっかり体を休めて欲しいんだけど。


「そんならええやん。俺かて方向は一緒や」
「遠回りになるでしょ?」
「大して変わらへん」
「……だったら良いけど」


本人が良いって言うんなら、私が拒否する理由はない。
なんとなく釈然としないまま、そのまま二人で並んで歩き始めた。












「なんか、懐かしいね」
「…そやな」


1年の頃に戻ったみたいな錯角がする。
あの頃は他に方向が一緒の部員があまりいなくて、よく忍足に送って貰ってた。
忍足がレギュラーになってからは一緒に帰ることなんて殆どなかったけど。

……なんか、変な気分。

懐かしいのに、居心地が悪い。
別に忍足と仲が悪いわけでも喧嘩したわけでもないのに。


「……なぁ」
「なに?」


会話らしい会話もないまま歩いて、10分ほど経っただろうか。


「なんで跡部が一番なん?」


忍足が不意に訊いて来た。


「へ?」


一瞬、何のことか解らなくて、暫く経ってからやっとさっきの会話を思い出した。


「鳳のほうがずっと優しいやん。俺かて跡部よりは優しいと思うけど?」
「……だから言ったじゃん。跡部が優しくすることの意味を知ってるからだよ」
「その、優しさの意味ってどういう意味なん?」


何故か、忍足は不機嫌な表情をしていて。
ずっと感じてた居心地の悪さはこのせいなんだと今更ながらに気が付いた。


「……なんで怒ってるの?」
「ええから。答えてや」


忍足の瞳は真っ直ぐに私を刺し貫く。
それは逃げることを許さない、とそう言っているようで。


「長太郎は誰にでも優しいでしょう。親しい人にも、そうでない人にも。でも、跡部は違
うの。本当に自分が大事だと思う人にだけ優しくしてる。……ほら、宍戸がレギュラー落
ちしたときに監督に口添えしてあげたりしてたでしょ? 部長として当然って言うかもし
れないけど、でも跡部は部員に対しては本当に気を使ってると思う」


やけに自尊心が高くて照れ屋だから判り辛いけどね。
そう付け足して苦笑する。

本当に手のかかる部長さんだ。
判り辛いのに判り易くて。


「誰にでも優しくするのは自分の為でしょう。好かれたい、嫌われたくないから。……長
太郎の場合は無意識だろうけど、誰だって人に嫌われたくないんだからそれは当たり前の
ことでさ。でも跡部は自分が認めた人間以外には冷たくて、それは他人にどう思われても
構わないと思ってるからなんだろうね」
「アイツはそういう奴やしな」
「うん。……つまりね、跡部が誰かに優しくするのは、その人が跡部にとって大事な人だ
からで、跡部の優しさは跡部自身の為じゃなくて純粋にその人の為なんだってことよ」


それは本当に凄いことだと思う。
見返りを求めないことは簡単なようでとても難しいから。
私には到底出来ないことをやってのける跡部を、何だかんだ言いつつ私は尊敬している。


「ふぅん……で、俺は優しないって?」
「忍足は「優しさ」を利用してるじゃない」
「……どうゆう意味?」
「………」



言葉を濁してもどうせ追及されるだろう、とこの際言ってしまうことにした。


「忍足は、確かに他人に優しく接してるけど、それは好かれたいとか大事にしたいとかっ
てことじゃなくて、誰にでも同じように優しく接することで他人をそれ以上踏み込ませな
いようにしてるでしょ」


暗いのに、忍足が息を呑んだのが判った。

……やっぱり、気付かれるはずがないと思ってたんだ。

溜息が漏れる。
随分と見縊られていたことに。

それから、自嘲の笑みが零れた。


「判るんだよ。これでも人を見る目は確かなつもりだしね」


マネージャーとして、入部した日から毎日皆を見てきた。

だから、すぐに気付いたの。

忍足は誰も必要としていないこと。
誰にも自分の中にまで踏み込ませるつもりはないんだってこと。



それは私と同じだったから。



「……判ったんは、人を見る目があるからやなくて、自分もそうやからやろ?」
「……………そうだね」


だから、忍足にもバレてると思ってた。
私は忍足と違って自信過剰じゃないから。


独りでいることが辛くない人間がこの世界には確かに存在してて。

その内の二人は私と忍足だ。


、一つだけ言っとくわ」
「なに?」
「俺は確かにの言う通り、他人を寄せんように優しいフリしてるけどな」
「うん」
「ホンマに優しくしたい奴も一人だけおんねん」
「そうなの?」


驚いて、目を瞠る。
私の目の前で、忍足はとても真剣な瞳をしていた。
だから、それが嘘じゃないと解った。


「そうや。そいつにだけは他の奴よりずっと優しくしてるし、意識せんでも気付いたらい
つの間にかそうなっとる。お陰で跡部には「お前はアイツに甘すぎる」て文句言われとる
くらいや」
「へぇ……。その人のこと、跡部も知ってるんだね」


意外な気がした。
忍足はそういう人が出来たら誰からも隠したいと思うタイプだと思っていた。

だから、


も知っとるで」
「ええっ?!」


続けてそう言われて、更に驚いた。


「私も知ってる人?」
「そうや。が一番よく知ってるんちゃうかな」
「え? ……誰だろ。一番よく知ってるってことは、もしかして?」


親友しか思い当たらなかったのだけれど、忍足はアッサリ否定した。
だけど……跡部と私の共通の知り合いの女の子なんて、他に知らないわよ?
跡部の女遍歴なんて興味ないし。


「一人だけおるやろ?」
「…?」
「判らへん?」


さっきまでの不機嫌はどこへやら、今の忍足はとても楽しそうで。





正直、ムカついた。





「……誰?」


でも、気になるから聞いてしまう。
忍足の思う壺なのは判っていたけど、答えの貰えないクイズほど苛々するものはない。


「跡部が知ってて、俺がつい甘やかせてまうやつで、が知ってる女。ヒントは一
杯あげたつもりやで?」
「思い当たらないもの、そんな人」
「ここにいるやん」


「ここ」と言いつつ指した忍足の右手の人差し指の先は、私の鼻の頭に置かれて。


「……へ?」
「寄り目になってんで、自分」


ぷっと忍足が吹き出したから、とりあえず睨みつけてやった。

誰のせいだ。
誰だってこの場合指先を目で追うっての。

でも、忍足には効果なんてなくて。


、そんな上目遣いで見られたら俺の理性が持たんわ」


と、するりと顔が近づいてきた。
唇が触れる寸前で、はっと気付いて慌てて顔を逸らした。

くすり、と忍足がごく近くで笑う。


「今はまだええわ」
「は?」


帰ろか、と姿勢を戻した忍足はさっさと歩き出してしまう。
一拍後れて、私もその背中を追いかける。

ふと見ると。

街灯が作った影が二つ、後ろに長く伸びていた。


「なぁ、
「なに?」


すっかり普段の態度に戻ってしまった忍足に、私だけが意識するのも何だか莫迦らしくて
ムカつくので、私もすぐに普段通りの態度に戻った。
実際、それは思っていたよりもずっと容易かった。

それはきっと、今までもそうと気付かないだけでお互いに相手のことを探り合う、どこか
緊張した関係だったからなんだろうと思った。


「独りで居るんは平気やねん。けど、偶に寂しならへんか?」
「なるね。そういう時、あるよ」
「やっぱりな」
「…でも、その寂しさも結構平気って言うか、どこかで楽しんでたりするんだよね」
「そうそう。自分も完全に社会から離れてるわけでもないねんなぁ、なんて再確認したり
してな」
「だよねぇ」


他人が聞いても理解してもらえない話で盛り上がりながら歩いた。











私達にとって独りで居ることは辛いことじゃなくてむしろとても楽で。

他人は煩わされるだけの存在としか思えなくて。




でも、だからこそ。




大事な人は本当に心から大事だと思っていることを私達は知っている。