訊けば、彼の想い人もあの日以降彼氏が出来た様子がないらしい。
それならまだ自分にもチャンスはある。
諦めるのはまだ早い、と笑える彼は本当に強いと思った。

そう。
彼になら幸運の女神も微笑んでくれるだろう。


そして、私の鞄に沈んだ恋心も、漸く行き先が決まった。





















今日はテニス部の練習も早目に終るからと教室で待ち合わせようと言われたのを、買いたい本
があるからと駅前の大型書店の隣のコーヒーショップにに変更してもらって、お茶を飲みなが
ら買ったばかりの本を開いて待つこと約2時間。


「すまん。待たせた」


息を切らせたまま声を掛けられるまで、そんなに時間が経っていたなんて気付かなくて少し驚
いた。どうやら自分で思っていたよりも本に集中していたらしく、彼もそれに気付いたのだろ
う、かなり後ろの方を開いていた本を指差して「読むの早いな」と苦笑した。
額に軽く汗が浮いていた。


「飲む?」


あまり何も考えてなかったと思う。
ただ暑そうだな、とか喉渇いてないのかな、とか、精々その程度しか。
殆ど条件反射的に差し出したコーヒーカップに彼が驚いて目を瞠った途端に、自分の行動に気
が付いて慌てた。


「あぁっごめん! 失礼だよね、口付けたのなん、か…」


語尾が消えたのは、彼が「ありがと」と短く言ってカップに残っていた冷め切ったコーヒーを
飲み干してしまったから。


「………」
「ゴチソーサマ。それじゃ、行こうか」


何事もなかったようにカップを戻して、出入口へ向う彼の手が私の鞄を持っていってしまった
のに気付いたのが遅れたことも、仕方ないと思う。







慌てて後を追ってどこへ行くのかと問えば、近くのデパートの名前を出されて、ついでに聞き
出した予算の額にまた驚かされた。


「……足りんか?」


少し不安げな顔で聞かれて、「とんでもない!」と全身で否定する。


「むしろ高過ぎ! 幾ら何でも最初からそんな高価な物プレゼントされたら、絶対引くよ!」
「そーいうもんか?」
「うん。……仁王クンの気持ちは分からなくもないけど、バレンタインのチョコの代わりなん
だから、同じくらいのでいいと思う」
「そか」


やっぱりさんに付き合ってもらったんは正解やの。
納得した彼が呟いた一言は正確に私の胸を刺し貫いたけれど、それでも彼の役に立てるのなら
どんなことでも嬉しく思う自分がいるのも確かで。

複雑な心境を目敏い彼に見抜かれるより先に、何か相応しいものはないかと周囲を見渡した。


「その人……仁王クンの好きな人は、どんなのが好きなのかな?」
「そうやの、さんと好みが似てるかも」
「……そうなんだ」


ああ、だからか。
彼が私を誘った理由が分かって、どこかほっとした。
未練がましい私の心は、どんなに僅かな光でもそれに縋って生き残ろうと足掻くから。望みな
どないのだと思い知らせて貰わないと、すぐに増長して思いあがってしまうから。


「それなら、頑張って探さないと。責任重大だね、私」


綺麗に笑えたと思う。
今度は。


「オネガイシマス」


おどけてそう言う彼も、微笑んでくれた。



だから私はもう充分だ。

こんなにも彼に想われてるのだから、きっとその想いは相手の人に通じるだろう。
私が選んだプレゼントがその媒介役を果たすのだ。
そしてそれはずっと相手の人の身近に置かれて、結果的に彼の傍にそれが在り続けることにな
るのなら、なんて幸せな事だろう。


「最高の物を選ぶよ」


私の恋は成就しなくても、その形見は彼の元に残ることができるのだ。







どうせなら、持ち歩ける物が良い。

それから、失くしたりしない物が良い。

それでいて使い勝手が良くて飽きの来ない物が良い。


なるべく長く、彼の目に触れるように。








吟味に吟味を重ねて漸く決定したプレゼントの会計を彼が済ませている間に外に出ると、すっか
り陽の落ちた街に時期外れの雪が舞っていた。
手の平で受け止めると、一瞬で溶けて消える淡雪。
ずっとこの中にいたら、私の気持ちもこんな風に溶けて消えてくれないだろうか?


「冷えるからその辺にしときんしゃい」


次々降ってくる雪を受け止めていたら、いつの間に出てきたのか、彼の手が後ろから伸びてぎゅっ
と指を握りこまれた。
途端に跳ね上がる心臓。


「に、おうクン」
「ほら、こんなに冷たくなっとる」
「だ、大丈夫だから!」


振り払おうとしたのに。
彼はすぐに手を離してくれると思ったのに、それはちっともびくともしなくて。


さん」


彼の私を見る目が優しいから、涙が出そうになる。
気持ちを隠し切れなくなる。


「……離して」
さん、ちょっと俺の話聞いて」
「仁王クン、プレゼント渡しに行かなきゃ行けないのに、間に合わなくなるよ? ごめんね、私
選ぶのに時間掛かっちゃって」
!」


もう一方の手も掴まれて、ビクリと肩が震えた。
真剣な瞳が私を貫いた。


「あ……すまん。ちょっと、俺の話、聞いて」
「……うん」


そのまま、右手だけを引かれて近くの公園まで連れて行かれた。
そこの古くなった木のベンチに座らされて、彼自身は私の前に立った。


「これ…」
「え?」


差し出されたそれは、さっき彼が買ったはずの『お返し』。


「え? …なに? 気に入らなかった?」
「違う。……さんに貰って欲しい」
「……え?」


何を。
いきなり何を言っているのだろう、この人は。
だってそれは私宛の物じゃないはずだ。
彼が、バレンタインのチョコをもらえなくて、別の人を思っていてもそれでも好きな人へ渡す
はずの物だ。


「……告白、やめるの?」
「それも違う。……俺がこれ渡して告白する相手はさんじゃから」
「え?」


わからない。
彼の話す言葉の意味が頭に入ってこない。
ただ呆然と見上げる私の目の前で、彼は苦く笑んだ。


さんに、これ受け取って欲しい。……そんで、代わりにその鞄にずっと入ってるヤツ、
俺にクダサイ」
「!」


何故、知ってるの?
どうして……


さんが他のヤツを好きな事は知ってる。ずっとそいつを諦めきれんとチョコレート持
ち歩いてるのも。……けど、俺も諦められんから」
「にお、う、くん」
「俺にしときんしゃい。大事にするし」


彼が微笑う。
自身ありげなくせにどこかぎこちないその笑顔がだんだんぼやけてくる。


さん」
「……無理、だよ」


小さく呟くような応えは、それでも彼に聞こえたらしい。
笑顔が曇ったから。

でも、違う。
違うの。

そうじゃ、ないの。


「だって、ないの」
「…え?」
「にお、くんにあげた、い。でも、もう、ないの」


どうしてもっと早く言ってくれなかったの?
どうして、もっと早く。

そうしたら私もあげられたのに。
私の恋心、渡せなかったチョコレート。
貴方にあげられたのに。


さん、ちょっと待って。……ないって、なんで」
「だって……捨てたの」
「捨てた?!」
「ごめ、なさ……だって、もう無理だっておも、たから。あきらめなきゃ、て。ごめんなさい。
ごめ、なさい」
「い、いや。謝らんで良かよ。さんが謝ることじゃないきに。むしろ俺としては
んがそいつのことを諦めてくれたんなら嬉しいし、の」
「ちが…。やだ。あきらめたく、ない」
「…………」


ちゃんと説明したいのに。
嗚咽で言葉が出てきてくれない。
中途半端な言葉は彼の表情を曇らせるばかりで。

だから、私は手を伸ばして彼のシャツの袖を掴んだ。


「せっかく、好き、て、言ってくれ、たのに。あきらめるの、やだ。嫌わ、ないで」
、さん?」
「チョコ、また買いなおす、からっ。だからっ」


だからお願い。怒らないで。嫌わないで。
そう言いたかったの。
そうしたら。

気が付いたら彼の腕が私の背中に回っていて。
彼は座ったままの私を抱き締めていて、そのために地面に膝をついてしまっていて、私はそれに
気付いて彼の制服が汚れてしまうなんて事を考えていた。


「……ごめん。俺、今物凄く自惚れてるんじゃけど」
「におう、くん」
「そんでもって、凄く嬉しかったり」


そんな事を言われたら、もう止まらない。
止められない。
止めたくない。


「わ、たし。仁王クン、が、好き」
「俺もさんが好き。すげー好き」


私を抱く彼の腕に更に力が篭って少し苦しかったけど、でもそれ以上に嬉しかった。

何よりすごく暖かかった。









「……そういえば、いつの間にチョコレート捨てたん」
「え? えっと、待ち合わせしたコーヒーショップの隣の本屋さんだけど……」
「本屋ね……ふ〜ん……」
「…………まさかと思うけど、拾いに行こうとか馬鹿なこと考えてないよね?」
「(ぎく!)」


当然、阻止しました。
本当に彼は何を考えているのか判らない人……油断も隙もないとはこのこと?

だけど、それも嬉しいと思う私のほうがどうしようもないのかもしれない。





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あまりにも捨てられたチョコを惜しむ仁王を見かねて、
後日さんが改めてチョコをプレゼントしたそうです。

「しっかり手作りをリクエストした辺りは流石『詐欺師』、抜かりはないな」(柳)
「……参謀、何故知ってる?」(仁王)