苦手なエアコンの電源を切って、窓を開けた。
大して吹いていない風が、時折カーテンを揺らす。
遠くに聞こえる独特のボールの打音が耳に心地良い。
どんどん上昇する室温と、滲み出してくる汗。
からりと音を立てて引き戸が開き、足音が近づいてくる。
かかとを踏み潰しているから、ぺたぺたん、と不規則でだらしない。
「 やー、まだ残ってたんばー?」
机の上に広げられた、八割方埋められた課題のプリントを平良が覗き込んだ。
DAZZLING GOLD
俯いた首と、そのせいで少し丸められた背中。
机の上に広げられた重そうな本は、図書館から借り出してきたものだろうか。ぺら
り、ぺらりと繰られるページは、本当に読んでいるのかと疑える程度に早く、読ん
でいないと断言できない程度に遅く、その度に本の上を往復する右腕には、もうあ
のリストバンドはない。
風を孕んで翻るカーテンも窓から飛び込んでくる物音も彼女の集中を妨げることは
出来ないようだった。
「また、居残っているんですか」
一歩、足を踏み出す。
此処だけで完結した世界のようなその中に踏み込むには、その一言が必要だった。
俺の声にさんが反応を返してくれる、その手順が。
さんがゆっくりと振り返る。
「木手」と名を呼ぶ声からは感情が抜け落ちていた。今の今まで読んでいた本の世
界に落としてきたのかもしれない。けれどその分、透明で綺麗な声だと思った。
「あんなことがあったばかりだってのに、無用心でしょ」
一歩、また一歩近づく俺を、彼女の目がまっすぐに映している。
「それとも」
また一歩。
彼女との距離が近くなる。
「誰かを待ってるの」
「…木手」
近づいた分、よりはっきりと見える彼女の瞳の中には、動揺を必死で押し隠して余
裕ぶっている滑稽な男の姿。
「大体君は無防備なんですよ」
そいつはさんの右手首を掴むと、後ろの机に押し付けた。
自動的に彼女の上半身は上向けにそらされる。
鍛えられていない手首は細く、指が余る。
あのリストバンドが嵌められていた、右腕。
平良が掴んで痣を残したのと同じ場所を掴んだのは、意識してか、無意識か。
「…木手」
「また襲われたいの」
あんな男に。
似たような最低野郎に。
見開かれた瞳。
びくともしない、腕。
強引に覆いかぶさってくる熱。
見たわけじゃない。
俺は目撃はしていない。
けれど目の前で起こったことのように鮮明に脳裏に浮かぶ。
そしてその情景は、浮かぶ度に俺の心臓を焼く。
「…木手」
「事を公にしたくないと先生方に訴えたのは、あいつに気があったからですか?」
あいつが首の皮一枚で退学処分を免れたのは、余計な噂を立てられたくないと、だ
から“なかったこと”にしてくれと、訴えた君のお陰だった。それが奴への情から
出たものだったとしたら。
もしも、そうなら。
「…くるす」
低く漏れた呟きに、さんの体がびくりと震えた。
……そういえば、この言葉の意味を聞かれたこともあったんだった。
彼女の咎ではないとはいえ、本当にろくでもない言葉ばかり知っているのだから、
困る。
本当は、綺麗なものにだけ包まれていて欲しいのに。
「木手」
「…ぬーが?」
押さえつけていなかった左手が上げられる。
拒絶のためだと思ったそれは、俺の腕から肩を通り、頬へ添えられた。
「必要、ない」同時に、告げられた言葉はとっさに意味を捉えられなくて。
「……、さん?」
「平良はもう木手達に絡んできたりしない、から。制裁は十分に受けさせてやった
から。だから、木手が怒ることはないよ」
淡々と告げられる言葉が、脳の中でゆっくりと意味を成していく。
と同時に、驚きが血管を走りぬけた。
それは、まさか。
その言葉の意味は、まさか。
「…やーは、平良ぬこと」
「私は、ただ此処で、課題をしていただけ」
傾いた陽が教室を赤く染めている。
からり、と音を立てて開けられた引き戸。破られた静寂。
「やー、まだ残ってたんばー?」
机の上に課題のプリントを平良が覗き込む。
ぺたんぺたんとだらしない足音が気に障って
「いちん居残って、たーを待ってるんばー?」
彼女が毎日教室に居残っていることはクラスメイトの間では周知の事実だった。
日焼けするのが嫌だとか、日差しが強すぎるとか、色々と理由をつけて部活でもな
いのに教師達から居残り許可をもぎ取っていたから。
「関係ないでしょう」
にべもなく切り捨てた。
顔を背けたその首筋に、汗が一筋流れた。
後れ毛が貼りついている、日に焼けていない白い首筋。
女に振られてからの一月近く、平良の周りに女っ気はなかった。
その情報を俺に教えたのは誰だった?
押さえつけられた右腕。
引き千切られた上着。
口元に浮かんだ、あるかなきかの、笑み。
無防備に開け放たれたままの、窓。
相手は自分の欲を抑えることも満足に出来ない低脳だ。
挑発することは簡単だっただろう。
タイミングを見計らって上げられた悲鳴。
震える肩。
偽りの、涙。
それが彼女なら、尚更に。
「私は、何もしてない」
そう。
それは事実だろう。
状況という罠を貼ったとしても、そこに狙い通りの獲物がかかる保証はない。
ましてや、獲物が罠に嵌るかどうかなど、誰にも分からない。
「……何も、してないわ」
まっすぐに俺を見ていた目が伏せられた。
俺の頬に触れていた手が、力なく落とされる。
まるで責め苦を受け入れる殉教者のように俺の目前にその身を投げ出して。
けれど、ねぇ?
「そうですね」
そっと耳元で囁いた声は、我ながらやけに甘く響いた。
「目を開けて、俺を見て」そんな想いを乗せて伏せられた目蓋に唇を落とすと、彼
女はおずおずと目を開いてそこに俺を再び映す。
もう怒ってないの?
目だけで問いかけるさんに微笑ってみせる。
「君は何も悪くない。悪いのは全て平良です」
本の少し理性を働かせて常識を思い出せば回避できる罠など、罠とは呼べない。
奴は自ら望んで罠に足を踏み入れた。
なら、非は平良にしかないでしょう?
なのに本気で俺が君を責めるとでも?
「…平良なんか、大嫌い」
右腕でさんの頭を抱きかかえると、ようやく安心したのか、か細い声が聞こ
えてきた。
「テニス部の皆に酷いこと言うし」
「ええ」
「いつもニヤ付いた顔でジロジロ見てきて気持ち悪いし」
「…そうですか」
「正直言って、いい気味だって、思ってる」
「そうですね」
腕に触れる彼女の髪の感触が心地いい。
彼女が話す度に吐息が首筋を掠めて、体が震えそうになる。
初めて触れた熱さは、外の暑さなど比較にならないほど。
木手永四郎ともあろう者がなんて様だと嘲う余裕は何処にもなかった。
「木手」
「…なんです?」
「そろそろ、限界。重い」
腕と背中が痛いと訴えられて、初めて彼女に無理な体勢を強いたままだったことを
思い出した。慌てて離れれば、俺の形に赤く染まった細い手首が目に入った。
「……すみません」
さんが一瞬首を傾げて、それから俺の視線を辿って自分の手首に行き着く。
「いいの」
そうして、ふわりと笑んだ。
「やっぱり、木手は力が強いね。はっきり形がわかる」
赤くなっているそこを覆うように左手で掴むけれど、彼女の細い手では覆いきれる
はずもなくて。
「大きいね、木手の手は」
なのに、嬉しそうに微笑うから。
痛いだろうに、嬉しそうにそこに指を這わせたりするから。
誘われるままに、俺はその手首を再び掴んで引き寄せた。
「…木手?」
そのままそこに唇を寄せる。
触れた瞬間びくりと震えたけれど、嫌がるでもなくそれは俺の手の内に納まってい
て。
……そうですね、俺が君を唯一責めるとするならば。
「もう、誰にも触らせてはいけませんよ」
「え?」
「きみは俺のですからね」
「は?」
「…まぁ、言うまでもなく」
二度と、俺以外の奴に痕をつけさせるような真似はさせませんけどね。
fin.
=============================================
初木手様。
うちなーぐちがでーじむちかさんかったやー。
色々色々嘘っぱち。似非もいいところ。。
(言わなくてもわかる)
沖縄の方、いらっしゃいましたらすみません。
「俺様が正しいうちなーぐちを教えてやろうじ
ゃねぇの、アーン?」な素敵跡部様はメールか
拍手でお願いします。大歓迎です。
以下、シリアスぶち壊しのあとがき(反転)
長いよ!
書きながら自分で自分に突っ込みいれてました。
あれか、オリキャラの出番が長いのか。くそう。
それにしても、木手様。
ここぞってところでうちなーぐちになってくれる
とものすっごく悶えると思うのは私だけですか。
そうですか。(←愚問)
一見すると、
「体を張って木手達に嫌がらせするオリキャラを
陥れたヒロインと、その事実に気付いたけれど受
け入れる木手様」のお話。
でもよく読むと回想シーンは全て木手様の想像の
産物にすぎず、ヒロインさんは何も言ってないし
認めてません。つまり「オリキャラを陥れたヒロ
イン」というストーリーは木手様の勝手な思い込
みかも知れないのですよ……ほら、ドキ鯖で跡部
陰謀説を信じてたみたいに。(笑)
真実は藪の中です。
おまけに告ってもいないのに「俺の女」発言。
彼の中ではいつのまにかつきあってることになっ
ているらしいです。
木手様は冷静なつもりで実は激情家&思い込みが
激しい。←激LOVE