はいつも屈託なく笑う。
何も考えていないはずはないのに、そう思わせるほど開けっぴろげで無邪気に笑う。
「この間、見たよ」
何が、と問えば、「乾の彼女。年上の綺麗なオネーサンだった」と返された。
それは自分ではない、人間違いだと誤魔化そうかと思ったが、何故か乾の嘘は彼女には判って
しまうらしいので、それはやめた。
とにかく、一番見られたくない人物に一番見られたくない場面を見られたということだけが事
実として脳に刻み付けられた。
そしてそれよりも衝撃だったのは、
「でもあんまり楽しそうじゃなかったね」
分厚いレンズの下の本音を見抜かれていたこと。
ESCAPE
「……ああ、それで断ったんだ」
「そういうこと。酷いよね、彼女の話をした直後に「付き合おうか」だもん。揶揄ってるのが
丸わかりだっての」
「本気なんだけどなぁ」
「いぬいんの本気は嘘と同義でしょう」
テニス以外は。
冷たく切り捨てた後で、ちゃんと付け足す。
それを聞いて、「ああ、さんは分かっているんだな」と不二は納得する。
ちらりと視線を向けると、相変わらず内心を読ませない表情の乾は、それでもどことなく嬉し
そうにを見ている。
「大体ね、軽々しくそういうこと冗談でも言わないでよ。本気でテニス部のファンって怖いん
だから」
「さんでも怖いんだ?」
「当然。君子あやうきに近寄らずってね」
「自分で『君子』と言うのはどうかと思うよ?」
「こ・と・ば・の・あ・や。最も、私に正面から喧嘩売ってくる馬鹿はいないと思うけど」
「ま、ね。手塚のいない生徒会を副会長として取り仕切り、成績も上の中、授業態度も概ね良
好で教師からの受けも良いに楯突いても勝ち目はないな、確かに」
「だからって自ら進んで恨み妬み嫉みを買いたいと思う馬鹿ではないの、私は。ってことでお
二人とも私から離れていただけないかしら?」
にっこり。
生徒総会の場では小煩い教師陣でさえ押さえ込むと言われる微笑で、さらりと宣告した
だったが、相手は一癖どころか余裕で十癖はありそうな二人、そうそう思い通りに動いてくれ
る筈もなく、乾は無言で机から椅子に移るのみ、不二に至ってはの倍の威力はありそうな
笑顔で「嫌だね」とのたまった。
………分かってはいたが小面憎い。
菊丸あたりであれば、素直に怖気づいて立ち去ってくれただろうに。
その菊丸は鐘が鳴ると同時に購買へとすごい勢いで走り去ったまま、まだ戻ってこない。
それでも乾が座ってくれたので、そろそろ痛み出した首を戻す事が出来たのだから幸いか。
座っていても『壁』であることに変わりはないが。
「僕らに「退け」って言える女の子ってさんくらいだよね」
「私は君らの綺麗な顔に騙されたりしないからね。いぬいんに至っては今更だし?」
「今更って……何か俺だけ扱い酷くないか?」
「酷くない酷くない。1年からの付き合いでしょ」
「そうか、の扱いの悪さは親密さの裏返しなのか」
「……いぬいんが言うとやらしく聞こえるのはどうしてなのかしら?」
「それは本人がやらしいからだと思うけど?」
「そうなの?」
「本人に聞くか。……まぁ、否定はしないよ」
「しないんだ?」
「この年頃の男なんて皆やらしいものだろ、不二」
「それもそうだね」
「何時の間にかいぬいんの個人評が一般論にすりかわっちゃってるよ。これだから油断できな
いんだよね、この人達って。あーやだやだ」
大げさにしっしっと犬を追い払うみたいに手を振ってみせるに、とうとう不二が声を上
げて笑い出した。
「さんって本当に頭良いね」
「……それって爆笑される事?」
「それなのに、どうして肝心な事は気付かないんだろうね?」
「…は?」
それはどういうことか、とが問おうとした矢先、菊丸が購買から戻ってきたらしく大声
で不二を呼ばわった。
それに応えて、不二は寄りかかっていた机から腰を浮かした。
「苦労するね、乾」
「そこがいいんだよ」
「成程」
立ち去り際、小声で交わされた会話はの耳には届かず、
「……いぬいん、今のどういう意味だと思う?」
「そのままの意味だろ」
「……それが分からないから訊いてるんじゃない」
頬を膨らませたに乾は唇の端だけで小さく笑んで、目の前の頭を軽く撫でた。
「一つ誤解を解いておきたいんだけど」
「んもー……なに?」
くしゃりと乱れた髪を慌てて直しつつも唇を尖らせただったが、それでも聞く体勢では
あるらしく、真っ直ぐな視線を乾に向ける。
それを乾は眼鏡越しに受け止めた。
「俺は彼女はいないよ」
「……え? だって」
「が見たのはただの知り合い。あの人は彼女じゃないから」
「腕組んで歩いてたのに?」
とてもそうは見えなかった。かなり親密そうだった。
そう目だけで訴えるに、乾は本当のことを告げたら彼女は怒るだろうかとその確立を割
り出してみる。
……どちらかというと軽蔑される確立92%というところかな。
ここは言わないでおこうかと口を閉ざした乾の逡巡を、しかしは見逃さなかった。
こっそりと、声を潜めて遠慮がちに
「……もしかして、さ。あれ? カラダだけのオトモダチってやつ?」
正確に洞察していた。
「…………」
「あ、やっぱそう? あ、心配しなくていいよ。言い触らしたりするつもりはないから」
驚いて声も出ない乾の目の前で、は屈託なく笑う。
「……軽蔑しないのか?」
「なんで? いぬいんが遊びのつもりで相手の人を騙してるんなら別だけど、お互い割り切っ
た関係なんだったらOKでしょ」
そういうことに興味あるお年頃なんだし?
にやりと悪戯に笑んだに、乾は一瞬詰めた息を吐き出すと
「本当には俺の予想外の反応ばかりだな」
同じように笑んだ。
「……で、話を戻していいかな?」
「え? あ、うん」
「まぁ、そんなわけで俺は今フリーだ」
「うん、分かった」
「今現在付き合ってる彼女はいない」
「うん、それはもう分かったってば」
「……本当に分かった?」
顔を覗き込めば、は素直にうんうんと頷く。
それを確認して、
「だから、この間の告白は冗談でも揶揄ったんでもないってこと」
ポン、とその大きな手をの頭に乗せたのは照れ隠し。
「………………へ?」
意味を掴み損ねたが「あれ? え? どういうこと?」ときょとんとしつつ首を捻り、
乾を見上げるのだが、乾はそれにはただ微笑んで、
「俺だってテニス以外にも本気になることはあるんだよ」
今日のの鋭さと鈍さと慌てぶりを後でデータに加えなければと考えた。
「いぬいん?!」
「ところで、そろそろ俺たちも昼飯を食べに行かないか? 休み時間が終ってしまうよ」
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乾は変態ちっくで好きだ。