1.忍足侑士



後、数歩で校門を出ようかというところで


「ちょ…っと、待ちぃ!」


いきなり、ぐっと肩を掴まれて足止めされた。
振り返るまでもなく、こんなイントネーションの知り合いは私には一人しか
いない  同じクラスの忍足侑士しか。


「……何?」


前髪から滴る水滴がうっとおしくて、ちょっと睨んだみたいに目を眇めつつ
そう訊いたら、「何、やないわ!」と怒鳴り返された。

……なんで怒鳴られてるの、私。

ちょっとカチンとくる。
大人しげに見えて喧嘩っ早いと友人の間では評判の私だ。


「こんな雨ん中傘も差さずになにやっとんねん、お前!」
「だって傘忘れたんだもん、仕方ないでしょ」


朝はあんなに晴れてたのに、全く詐欺だ。
っていうか、なんでこの男はしっかり傘持ってるのか、むしろそっちの方が
疑問なんですが。しかも、折りたたみですらない、ふつーの傘。


「仕方ない言うたかて、土砂降りやぞ?! 全く躊躇もせずに飛び出すヤツ
なんか初めて見たわ!」
「しっつれいね! 躊躇なら教室で土砂降りになってるの知ったときにした
わよ!! ヒトのこと変人みたいに言わないでよね!!」
「ずぶ濡れのまんま歩いて帰ろうとしてる女は充分変人や!」
「だ〜か〜ら、傘ないんだってば! 友達は皆逆方向だし、迎えに来てくれ
るような家族は家に居ないし、家そんなに遠くないんだから濡れて帰るしか
ないでしょ!」
「いっくら家近い言うたかて、風邪ひくっちゅーねん!」
「じゃあ何か、アンタは私に学校から帰るなと言いたいのか!」
「…っあー、もう!」


焦れたように空いた方の手で前髪を掻き上げて……そんな何気ない仕草でさ
え様になるんだからイイ男はズルイなぁ、なんてこっそり見蕩れていたら、
今度は二の腕をぐいっと引っ張られて思わず体がぐらついた。


「う、わっ」


倒れる!
とっさにぎゅっと目を瞑ったものの、次の瞬間身体を襲ったのは少し硬いけ
れど暖かな感触で。
目の前の氷帝の男子用制服にはじわじわと水が染み込んでいく。


「お、した、り?」


つまりそれは、今、私がずぶ濡れの身体を預けているのは彼の胸だというこ
とに他ならず。

慌てて離れようとしたのに私の背に回った彼の腕がそれを阻む。


「……しゃーないから、俺が送ってったるわ」


彼の体越しに響いてきた声はとても冷静なのに、それを裏切る心臓の音。
1Km走りこんできたと言われても信じられそうなそのリズムに緩んでゆく頬
を自覚しつつ、


「じゃあ、そのお礼にコーヒーでもご馳走しましょう」


素直じゃない私は、そんな一言を返した。










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忍足はきっちり天気予報チェックしてるイメージ(笑)


2.跡部景吾






「……ったく、救いようのない馬鹿だな、テメェは」


部屋に入るなり、跡部は無情にもそう言い放った。


「うっさい。批判するだけなら出てけ」


……言われたほうも、負けてはいなかったが。












「だいたいねぇ、日本とイギリスじゃ暑さの質が違うんだもん。バテても仕方
ないじゃない」
「質が違うと分かってるなら、最初からそれなりの対応が出来るだろうが。暑
いからっつって冷たいモンばっか食ってりゃバテるのも当たり前だ」
「だってこんなに暑いのに熱いものなんて食べる気になれない」
「お前なぁ…」


ベッドの上でクッションを抱き締めたまま、傲然と言い放ちつつ。
彼女が手にしているものに跡部は鋭い視線を送った。


「…で? それは何だよ」
「マンゴープリン」
「んなこたぁ分かってんだよ。俺の言うこと聞いてたのか、テメェは!」


今まさに蓋を開けようとしてたところをいち早く取り上げれば、「ああ! 私
の夕飯!!」の叫びと共に追ってくる。


「こんなモンでメシを済ませてるからバテるんだっつってるだろうが!」
「こんなモンって言うな!」


コンビニで280円もするのだと言い募る目の前の恋人に、跡部は本気で頭を抱
えたくなった。
テニス部員達の健康管理には煩いくせに、どうして自分のことはこうもおざな
りなのか、この女は。

このままでは埒が明かないことは明白で。


跡部はとうとうブチ切れた。










「あれー? 今日はマネージャー休みなん?」
「おぉ。夏バテで暫く自宅療養だってよ」
「大丈夫かいな。自宅っても一人暮らしやろ?」
「だから、アイツ今、跡部ン家で面倒見てもらってるらしーぜ。完全介護、至
れり尽くせりだってよ。ダサダサだぜ」
「はぁ?! せやったら『自宅療養』ちゃうやん! それでええんかい!」
「いいんだよ」


会話に割って入った跡部はにやりと笑った。


「俺の『自宅』で『療養』中。嘘は言ってねーだろ」


そんなのアリか…?
首を傾げる忍足に、更に駄目押しの一言。


「数年後にはアイツの自宅になるんだから、問題ねぇよ」










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夏バテ(ヒロイン連載設定)
いや、問題大有りだから跡部サン。


…と、ツッコミを入れつつ終わる。





3.忍足侑士





「俺の時代がやって来たで!」


……太郎ちゃーん、忍足が何か叫んでますよー?


告げ口したら、あっさりと「放っておけ」と言われてしまったので役には立
たないだろうと思いつつも念の為跡部にも同じことを告げ口してみる。


「うぜぇ」


…一言ですか。
つか、アンタが部長なんだから部員の面倒くらい見なさいよ。


「あぁ? あの馬鹿の奇行はお前に対してだけだろうが。プライヴェートに
まで口出ししてられるかよ」
「そうなの?」
「気付いてなかったのかよ……相当鈍いな、お前」


憐れまれてしまいました。
いや、この場合、憐れまれたのは忍足か?
どちらにしても跡部に憐れまれるなんて初めての経験だけど、無茶苦茶自尊
心が傷付くものだと知ったわ。


「……で、何が『俺の時代』?」


宍戸も長太郎もジロも日吉も滝も樺地クンもガックンですら役目を代わって
くれなかったので、仕方なしに直接本人に訊くことにした。
……ら、矢鱈嬉しそうな顔ですっ飛んできた。


「決まっとるやろ、俺の誕生日や!」
「……は?」
「は? やないで! 俺らが付き合って初めての誕生日やろ! もっとこう、
何かないんか?!」
「何かって…?」
「だーーーっ」


イマイチ反応の鈍い私に焦れたように忍足は奇声を挙げた。
今日はとことんテンションが高いらしい。


「色々とあるやろ! 祝いの言葉とか手作りのケーキとか愛してるとかプレ
ゼントは私、とか!」
「…何か最後の方に聞き捨てならないっていうか聞かなきゃ良かった言葉が
混ざってるけど」
「そんな些細なことはどうでもええねん!」
「わかったわかった」


つまり、どうでも私に誕生日を祝って欲しい、とそういうことなのだろう。
この男が顔に似合わずロマンチックな乙女思考の持ち主であることを今更な
がらに思い出した。


「んじゃ、祝ってあげるから部活終わったら家庭科調理室に来て」
「へ?…おう」
「ほら、ガックンが呼んでるよ。跡部にどやされないうちに練習戻ったほう
がいいんじゃない?」
「ああ、そやな」


簡単に承諾した私に拍子抜けしたらしい忍足の背中を見送って溜息を一つ吐
くと、私は件の教室の使用許可を得るべく職員室へと向かった。









2時間後、部活を終えて着替えも済ませた忍足の目の前に差し出したのは、
焼き立てで湯気を立てるホットケーキとコーヒー。


「えー…と?」
「私がレシピもなしに焼けるのなんてこれくらいなの。だからこれで我慢し
てよね」


生憎と、お菓子作りが得意な可愛い女の子ではないのです。
こんな日でも憎まれ口を叩いてしまう私への返答は


「充分や!」


だらしないくらいに緩みきった忍足の笑顔。











「…けどな、何でメープルシロップなん? 普通は蜂蜜やろ」
「は? ホットケーキにはメープルシロップでしょ?」
「蜂蜜やって! メープルシロップなんか邪道や!」
「文句言うなら食べなくていいけど?」
「ああ! 嘘やって! 嘘です、ごめんなさい!」



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ケーキ

おっしー誕生日おめでとう拍手でした。
跡部は連載で祝うつもりだった……の、ね……



4.仁王雅治



なんとも思っていないはずだった。

何かにつけて目立つ自分と万事控え目で見るからに優等生タイプの彼女とでは
必要最低限以上に関わりあうこともなく、気に掛けるには自分の好みはもう少
しばかり気の強いタイプで、ついでに言うなら見た目ももう少し派手な方が良
い。
流石に名前だけは知っていたけれど、それ以上の事なんて知るはずもなく。
知ろうとも思わなかった。


要するに、ただクラスが同じなだけの、『赤の他人』。

自分にとっても。

彼女にとっても。











それなのに。



昼休みも終わりかけ、あと数分で予鈴が鳴ろうという頃に教室に戻ってきたの
がたまたま目に留まった。
どこか困ったような表情で、手には数枚のプリントが抱えられている。


「どしたよ、仁王?」
「いや…なんもなか」


雑談を交わしていた友人を適当にあしらいつつも視線を彼女へと戻せば、比較
的仲の良いらしい女友達と二言三言言葉を交わしていたのが、何故かその女生
徒はこちらを指差して。
その指先を追うように振り向いた彼女がその女生徒に何かを確認した後、礼を
言ったのか軽く頭を下げたと思ったらそのままこちらへ歩いてくる。


何だろう、と表情に出さずに首をかしげている間にも彼女はどんどん近づいて
きて。


「あの…」


1mほど手前でぴたっと止まった。
遠慮がちな、自信なさ気な声に大声で馬鹿話していた友人達の目が一斉に彼女
に集まった。
そのことに多少たじろいだらしかったが、すぐに気を取り直して手元のプリン
トを一枚引き抜いて、誰ともつかず差し出した。


「ごめん、田代クンって…だれ?」
「は?」


一番彼女に近い位置にいた奴がきょとん、と目を見開いた。
が、人のことは言えない。自分もそうだった。
唐突な彼女の言葉が理解できるのに数回瞬きする時間が必要だった。

なぜなら、


「だから、田代クンって…」
「いや…田代って、俺」


ソイツが当の本人だったから。 


「え、そうなの?」
「そうなのって…」
「ごめん、人の顔と名前覚えるの苦手なの」
「だからって、お前なぁ…俺、お前と1年のときから同じクラスなんだけど」
「えっ、ほんとっ?」


がっくり肩を落とした田代に彼女は面白いほど狼狽えて、何度もごめんと繰り
返す。その様子が面白くて小さく笑いを零したら、赤い顔できっと睨まれてし
まった。


「…これ、権田先生から預かったんだけど、クラブの通達なんだって。他の人
にも配ってもらって、良い?」
「ああ…」


本当に、ごめんね。
申し訳無さそうに、でもしっかりとプリントを押し付けて去って行く。
その背中に、ふと興味が沸いた。



それは本当にただの好奇心だった。
それと多分、校内の有名人であるという自覚から来る妙な自尊心。


「お、おい、仁王?」


雑談グループから抜け出して、自分の机で次の授業の準備をする彼女の目の前
に立つ。
自分に気が付いて、ゆっくりと顔を上げる彼女に心のどこかが満足した。


「……なに?」
「俺は?」
「え?」
「俺の名前は知っとるん?」


そう訊ねれば、返ってきたのは苦笑と。


「流石に私でも知ってるよ、仁王クン」


柔らかく柔らかく、自分の名前を紡いだ声。











もっと、と。
そのときに思ってしまったのが始まりなのだといえば、彼女はどういう反応を
してくれるのだろうか。

もっとその声で自分を呼んで欲しい。
その目で自分を、自分だけを見つめて欲しいと思ったなんて。


「……ま、当分は言うつもりないんじゃけどの」
「え?」


まるで親の仇とでも言うかのようにクリスマス特集の雑誌を睨んでいた彼女が
顔を上げる。


「仁王クン、何か言った?」
「なんもなかよ」


にっこり笑ってぽん、とその小さな頭に手を置くと、「…そう?」なんて納得
してるとは言いがたい表情のまま、それでもすぐに諦めて雑誌に視線を落とし、
あれでもないこれでもないと唸っている。


「すまんの、せめて先月が誕生日じゃったら良かったんじゃが」
「ううん、そんなの仁王クンのせいじゃないよ」


12月の頭に誕生日を祝ったまでは良かったが、その20日後には恋人達の一大
イベントであるクリスマスが控えている。
その準備期間の短さを恨みながら自分へのプレゼントに頭を悩ませているその
姿が嬉しくて。くすぐったくて。


「こういうのを、幸せっていうんかのぉ?」
「……仁王クン、今のはちょっとオジサン入ってる……」
「そーいうことを言う悪い子にはお仕置きじゃ」


ぐっと顔を近づけた途端、真っ赤になる顔に笑みが零れる。
手を突っ張って押し戻そうとしても、敵うはずもない。


「きゃーっ、仁王クンごめんなさいっ」
「どーせ俺はオッサンじゃけ。オッサンはヤラシイコトが大好きなんよ?」
「嘘うそっ。仁王クンはカッコイイです!」
「…よし」


もっと呼んで。
もっともっと、自分の名前を。



それが自分にとって一番のプレゼントだから。



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はじまり



5.鳳長太郎



《明日、時間あるかな?》


昨日の夜に入ってきたメール。
絵文字も顔文字も一度も使われたことがない、いつも必要最低限の用件だけの
文章だけれど、だからこそ彼女の静かな笑みが思い浮かぶなんて、不思議なも
のだといつも思う。


《大丈夫。明日は部活も休みだし》


明日。
明日は何があっただろうと頭の中で予定表を捲る必要すらない。
ほんの数時間前に「練習にならねぇからお前は明日出なくていいぞ」と跡部部
長に言い渡されたばかりだ。


《それならちょうど良かった。じゃ、この間のコーヒースタンドで待ってるよ》
《分かった。終わったらダッシュで行くよ》
《急がなくていいよ。転んだらいけないから》


「転ばないよ!」


思わず叫んでしまった……
一人で携帯握り締めて何やってるんだろう、ちょっと恥ずかしい。
気を取り直して、携帯に文字を打ち込む。


《転ばないよ! 大丈夫だから、待ってて》
《分かった。じゃあ、明日》


……なんか、絶対携帯の向うで笑ってる気がする。
これは被害妄想じゃないよな。


《うん、明日。おやすみなさい》
《おやすみなさい》


彼女からのメールをじっくり読み返して、それからパタンと閉じた。
ごろりとベッドに身体を預ける。
……けど、どうしても落ち着かなくて、ごろごろと何往復も転がってしまった。

明日。
St.Valentain's Day。
それより何より、俺の誕生日。
……そりゃあ、彼女が知ってるとは思ってないけどさ。
特に訊かれた事もないし、俺から話したこともないし。
で、でもどっかで耳にすることもあるかもしれないしさ! 跡部部長から、と
か、宍戸先輩だって幼馴染らしいし!

そうじゃなくたってバレンタインにわざわざ呼び出すくらいなんだから、チョ
コレートくらい……期待したっておかしくない、よな。うん。


…………。


…………。


…………。


「……ヤバイ。ニヤける」




===============
2月13日、夜

バレンタイン前日の夜中。
少年も色々考えるのです。