家の電話は、繋がらなかった。
誰も出なかった、というのではなく、番号自体が使われていなかった。
会社も同じ。
電話案内に掛けて確かめてみても、会社自体が存在していなかった。
ああ、お願い。
何度も繰り返したけれど、もう一度繰り返す。
誰か。
誰か嘘だと言って。
La Dolce Vita
〜予想外は想定内?〜
「……聞いても、いいだろうか」
どこか遠慮がちな声に、ああ、この人もこういう気遣いをすることがあるんだと場違いな
ことを考えていたのは、まず間違いなく私の脳が逃避した結果だろう。
気まずそうな『榊監督』と『忍足君』の顔を見た途端に、私の口は言葉を紡ぎ出していた。
私の生い立ち。
住んでいた住所と電話番号。
事故に遭った時の状況。
勤めていた会社の名前と職種、任されていた仕事内容までこと細かく。
流石に彼らが漫画の登場人物だとは言えなかったけれど、それ以外のことなら何でも、問
われたことは勿論、問われないことまでも何でもかんでも、奔流の如く言葉が溢れるとは
まさにこのことだと実感した。体が痛むことなんてどうでもよかった。
なのに。
「…………」
「……監督、俺ちょっと先生呼んできます」
「ああ、頼む」
返ってきたのは反応ともいえない反応。
神妙な顔で『忍足君』は病室を出て……と、思ったら、「こらジロー、いい加減起きぃ」
ふわふわの金髪頭の少年の頭をがつっと殴って文字通り叩き起こして一緒に出て行った。
「い…いたのね…」
「すまない。彼も君の見舞いに来ていたのだが……どうもどこでも寝てしまう癖があって
ね」
「いえ、構いません」
どうりで左側が暖かいと思ったよ。
しっかし、本当にどこででも寝るんだね……。
ドアの向うでなにやら話し声が聞こえたけれど、多分さっきいた『岳人君』だろう。様子
を察して外で待っていてくれたらしい。イイコだなぁ。
彼らの足音が去るのを待って『榊監督』は改まって私に向き直り、重々しく口を開いた。
「さん」
「はい」
「今の話では君は既に30を越えている計算になるのだが…」
「そうですね」
だって実際33歳だもんよ。
確かにオバサンかもしれないけど、40過ぎた貴方に下手に遠慮した物言いをされる筋合い
もないんですけどね。
「だが……それはあり得ないんだ」
「…は?」
あり得ないって、どういうこと?
あり得るも得ないも、この状況はあり得ないことだらけなんですけれども。
首を傾げた私に、『榊監督』はスーツの内ポケットから四角く平たいものを取り出して、
私に見えるように向けた。
「…あ、鏡」
流石はスーツ姿でテニスの指導をする謎のセンスの持ち主。
やっぱりこういうものは必需品なのね……って、え? ……っちょ、これ…?
「さん、君は来月卒業式を迎える予定の、現在中学3年生だ」
「………」
鏡に映る自分の顔は、確かに自分の顔なのに記憶にある筈のそれよりもずっと幼かった。
「……あり得ない」
何度も何度も心の中で繰り返した言葉。
だけど実際に口にしたら、その重みで眩暈がしそうだ。
コン、コン。
礼儀正しいノック音が聞こえて、顔を上げた。
コン、コン。
間を空けて、もう一度。
「どうぞ」
返事をすると間髪入れずに扉が開いた。
「よぅ、自称30代。具合はどうだ?」
第一声がそれかい。
礼儀正しいノックの仕方とは裏腹に、入ってきた彼の態度は傲岸不遜もいいところ。
……まぁ、もう慣れたけどさ。
「悪くはないわよ、いつもの通り午前中はリハビリ、午後は勉強してた」
「この間から付けた家庭教師はどうだ?」
「丁寧に教えてくれてるよ。ありがとうね」
なんてったって卒業間近の中学3年生といえば高校受験を控えているわけで、でもこちら
は受験勉強から遠ざかって久しい、というわけで不安を訴えたらあっさりと手配してくれ
たのだ、この『跡部景吾』が。
「ハッ、自称30代にゃ、確かに中学の勉強はキツイだろうからな」
そんな憎まれ口も叩かれるが、費用から何から全て彼が出してくれたのを知っているので
腹は立たない。忍足君に言わせると跡部君が私の世話を焼くのは彼なりの罪滅ぼしなのだ
そうだ。
私を撥ねたのは氷帝学園男子テニス部員を乗せたミニバスだったから。
といっても、そのミニバスの運転手さんが悪いわけではなく、ミニバスのすぐ前を走って
いた乗用車が犬が飛び出してきたのに驚いて無茶な急ブレーキを踏み、慌ててそれを避け
た先に信号待ちをしていた私がいた、ということらしい。
当然跡部君にも誰にも責任などないのだけれど、何故か彼と榊先生はとても責任を感じて
いて、学園の賠償とは別にポケットマネーで何くれとなく世話を焼いてくれている……多
少、やりすぎなところは否めない 着替えのパジャマだけで病室のクローゼットが一杯
になったよ……妙にヒラヒラしたのが多くて、宍戸君と向日君に爆笑されたし けれど。
まぁ、でもありがたいことに変わりはないので素直に甘えさせてもらっている。
「そういえば、さっき先生に言われたんだけどね」
「なんだよ?」
「もう来週早々に退院できるんだって」
来週といっても、今日はもう金曜日なので早ければ明後日だ。
「ああ、らしいな」
「うん、それは嬉しいんだけどね」
順調にリハビリも進み、今では一人で車椅子に移れるし、数分程度なら杖を突いて歩くこ
とも出来る。1週間前までは自力でベッドから起き上がることも出来なかったのに、破格
の回復振りだとリハビリドクターも驚いていた。
まぁ、それはいいんだけど。
「私の家って……どこ?」
「アーン? 覚えて……る、わけねぇか」
「なんたって自称30代の記憶障害だからねぇ」
苦笑して見せれば、跡部君はとても微妙な表情で私をじっと見た。
微妙な表情というのは、同情と哀れみと申し訳なさを無理に隠してなんでもない風を装っ
た顔、ということだ。
お医者様たちとのうんざりするほどのカウンセリングの結果、「私は33歳のオバサン」
発言は『事故で頭を打ったために起こった記憶の混乱』ということで片がつけられた。
おまけにこの世界での私の両親が私が事故に遭う半月前に揃って旅行先で他界していたら
しく、「そのストレスも相俟って」「昏睡状態のときに見ていた夢を現実と認識して」し
まったのだろう、と。
つまり今の私は記憶も身寄りもない満身創痍の中学3年生、ということになる。
幸いにもこれにお金がない、が追加されなかったのは生命保険とローンの終わった家と最
高ランクの海外旅行保険を残してくれたこちらの両親 勿論、その辺りの事を調べて教
えてくれたのは榊先生だ の賢明さのおかげだ。
ホント、ありがたい。
「お前の家は千葉の方にあるが……まぁ、戻らねぇんだから気にするな」
「……は?」
気にするな、とはどういうことか。
というより、戻らないって……なんで?
首を傾げると跡部君は完璧に呆れた目で私を見た。
「満足に日常生活も送れない身体のくせに、誰もいない家に帰ってどうするつもりだ?」
「……あ」
確かに、まだ一人でお風呂も入れないし座り込んじゃうと一人で立ち上がれないし……。
だけどだからといってどうしろというのか。退院は明後日なのに。
と、跡部君は心底呆れたように溜息をついて、それから腕を伸ばして私の頭をくしゃりと
撫でた。
「安心しろ、退院後は俺の家でお前を預かる。もう部屋も準備済みだ」
何故か得意気に胸を張ってる見える跡部君。だけど、
「……へ?」
な、なんか爆弾発言を聞いたような…?
「榊監督もお前を預かるつもりだったようだがな、あの人のところは通いの家政婦はいる
が基本的には一人暮らしだから引き取るのは無理があるといったら渋々引き下がったぜ?」
「なんで?!」
更に続いた爆弾発言に顎が外れそうになる。
と、そんな私の反応を不満と取ったらしい跡部君が麗しい眉間に盛大に皺を寄せた。
「…なんだよ、監督のところの方が良かったか?」
「いやいやいや、とんでもない! つか、それは緊張するからヤダ!」
「だろう?」
満足げに頷く跡部君には申し訳ないけど、君のところに行くのもなんだか不安なんですけ
ど……ゲームで見知ってるだけでも笑えるくらい桁外れのお金持ちの御宅に居候なんて、
色々な意味でついていけそうにない。多分無理。
てか、どうして本人の意向無視して「花いちもんめ」みたいなことになってるんですか。
そんな、御大の間で取り沙汰されるほどの者じゃないってのに……まぁ、それだけ責任を
感じてくれてるんだろうけど。
大体、跡部君のご両親は何を考えてるんだ。
中学生の息子の一存で勝手に居候が一人増えるなんてありえないでしょ?!
ちっちゃい子が犬とか猫とか拾ってきて「飼って〜」って駄々こねるのとは訳が違うんだ
から!
遠まわしにそんな事を訴えてみても、跡部君は鼻先でフン、と笑い飛ばしてくれやがった。
「心配すんな。話はつけてある」
「どうつけたのかを知りたいけど……話してくれなくて良いよ」
知るのが怖いから。
next.
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展開が速いのは承知の上です。超高速でお送りしてます。(笑)