カチャリと開いたドアに何気なく目を向けると、数日前の落ち込みが影も形も見
えなくなった同僚が帰り支度をしにきたところでした。


「なんや、まだおったんかいな」
「カルテを整理したら帰りますよ」
「誕生日やねんからほどほどにして帰りや」


可愛い彼女が待っとんのやろ?
にやりと笑われて、思わず眉間に皺が寄る。


「…なんや?」
「なんでもありません」


おそらく私の不機嫌な反応が予想外だったのでしょう、心持ち目を見開いた忍足君
に答える代わりに手早く机の上を片付けて、乱暴にならないぎりぎりの手つきで鞄
に放り込むと数日前の彼のように上着を抱えて立ち上がった。


「お先に失礼します」
「はい、お疲れさん」


ニヤニヤと余裕のある笑みが腹立たしい。


「早ぅ可愛い恋人に逢いたいねんなぁ、初々しいてこっちが照れるわ」


そんな揶揄いの言葉が背中に投げられたが、ここは聞こえない振りを決め込むこと
にしました。こういう場合の対処法は、立海大の頃に散々鍛えられましたからね。









病院を出たところで携帯電話の電源を入れると、メールの着信を知らせるメッセー
ジが真っ先に表示されました。
メール受信画面を開くと、予想通りさんの名前が。
続けて本文を読もうと携帯を操作し掛けた所で、


「柳生さん」
さん?!」


驚きました。
まさかさんがこんなところにいるとは思わなくて。
ですがさんはそんな私に構わず、ニコニコと笑って「お仕事お疲れ様です」
と少しばかり大袈裟に頭を下げて見せます。


「どうしたんです? 駅前の本屋で待ち合わせのはずですが」


何かあったんですかと問うてみると、さんは苦笑いをして。


「あの本屋さん、今日は臨時休業だったんです」
「えっ?!」
「で、コーヒースタンドで待ってますってメールを入れたんですけど……どうせな
ら柳生さんを驚かせてみようかな、と思って」


所謂『出待ち』ってことをしてみました。
そう言って笑うさんは悪戯が成功したことが余程嬉しいのか、瞳をキラキラ
と輝かせてとても愛らしい。


「ちょっとしたサプライズですね」
「ま、折角の誕生日ですし」
「ありがとうございます」


可愛らしく胸を張るさんの手を取ると彼女の白い頬がほのかに赤く染まり、
さんは俯いてしまいました。


「まだ、慣れませんか?」
「す、すいません…」


先程までの威勢の良さは途端になりを潜め、小さな声で、途切れ途切れに、けれど
決して嫌ではないのだと伝えてくれる。
ただ、恥ずかしいだけなのだと。

そしてその言葉が嘘ではないと照明するようにぎゅっと繋いだ手を強く握ってくる。

この、初々しくもいじらしい反応が見たくて、わざと手を繋いだりスキンシップを
とるようにしていると知ったら、一体彼女はどんな顔を見せてくれるのでしょうね。
……まぁ、当分は知らせるつもりもありませんが。


「…あ」
「はい?」


ふと、思い出しました。
それのことを今まで忘れていたのは、あまり気が乗らないからでしょうか。
行きたくない、というわけではないのですが……。


さんは、今月末はお忙しいですか?」
「月末ですか? ……〆日ですから、多少は……でも、大体8時以降なら大丈夫で
すよ?」
「そうですか…」
「何かあるんですか?」
「ええ、まぁ」


私が言葉を濁したことに気がついたのでしょう、更に追求したそうな表情をされま
したが、今はそれよりも。


「食事をしながら説明します」
「…え?」
「かなり待たれたのではないですか? 指先がとても冷たい」


繋いだ手を持ち上げて見せると、


「あ、いやっ、冷え性なだけなのでっ」
「ならば尚更冷やしたままでは辛いでしょう? お待たせしたお詫びに、今日は私
の行きつけの店にご案内しましょう」
「行きつけ、ですか」
「小さな店ですが、おでんがとても美味しいんですよ」
「おでん! 大好きです!」
「それは良かった」


慌てて言い訳を始めるさんを多少強引に遮って話を摩り替える。
おでんの一言に満面の笑顔を見せたさんは、やはり相当寒かったのでしょう
か。これは早く店に行かなければなりませんね。


ですが、本音を言えば。




「おでんや酒精等よりも、私自身で貴女を暖めて差し上げたいのですが、ね」
「柳生さん? 何ですか?」
「…いえ、なんでもありません」


手を繋ぐだけで赤くなって照れてしまう貴女には、まだ時期尚早、といったところ
でしょうか。
ですが、いずれは。


「覚悟を決めておいてくださいね」
「はい?」


私はもう一度、「何でもありません」と繰り返して、くぐりなれた暖簾を
んのために捲った。









fin.
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柳生視点にしたら難しすぎて玉砕しました……。
そして、そんなつもりはなかったのに、そこはかとなく黒やぎゅさん
になってしまいました。何故。

とにもかくにも、お誕生日おめでとうございます、紳士!