佐伯虎次郎の名ばかりの彼女になって、もう1年近くになる。

告白をしたのは私からだった。
飲みつけないアルコールの力を借りて、その場の勢いに任せたなんともへたれで
卑怯なものだったけれど、彼は「じゃあ付き合おっか」とあっさり頷いた。

そう、確かに頷いた。
あの日から、私達は晴れて恋人同士になった筈、だった。








「佐伯君、今日の合コン参加すんだって。秘書課のコが自慢してた」
「ふぅん」
「ふぅん、てアンタ…」


気のない返事をしていたら、が心配そうに顔を覗き込んできた。


「何よ?」
「…いいの? 何も言わないで。今日はアイツの誕生日なんでしょう?」
「何を言えって?」


唇の端だけで笑うと、唯一実情を知っているも苦笑い。

顔と人当たりだけは抜群に良いサエは当然女の子にモテる。
「合コンになんて行かないで」
「他の女の子に愛想を振り撒かないで」
そんな台詞は愛されてる彼女にだけ許される特権で、名目だけの彼女でしかない
私には何を言う資格もないのだ。
彼の誕生日に、予定の一つも尋ねられなかった私には。


「しっかし、佐伯君も何考えてるのかね」


意味不明過ぎ。
私には甘すぎるキャラメル・ラ・テを啜りながら、は呆れたように呟いた。


「何が?」
「ヤツの行動。を彼女ポジションに置いてるのは単純に女避けだと思って
たんだけどさ」
「うん」


それは私もそう思う。
って言うか、他に理由がない。


「それにしちゃ、合コン行ったり飲み会にもまめに参加したりして、わざわざ佐
伯君狙いの女どもが寄って来易い状況作ってない?」
「……そうね」
「遊びたいならさっさとフリーに戻ればいいじゃない。でも実際はアンタをこう
やって縛り付けたまんま。だから意味不明なのよ」
「それはきっとアレじゃない?」
「ドレよ?」
「本気になられるとウザいから、「本命がいるから君は遊びなんだよ」って状況
を作ってるとか」
「うわ、それサイテー」
「…ま、勝手な憶測だから本当のところはわかんないけどね。サエの心が見抜け
るのなんてバネ君達くらいよ」


付き合い始めた頃に2・3度行ったきりの希少なデートのときに偶然出会って紹
介された彼の友人達はとても気さくで、人見知りしがちな私には珍しく、すぐに
打ち解けることが出来た。その頃は「佐伯君」だった呼称が「サエ」に変わった
のも彼らの影響だ。
彼らとはそれから何度か誘われて遊びに行ったりもしている。

勿論、サエ抜きで。


「バネ君って、佐伯君の幼馴染だっけ?」
「小学校からの付き合いだって。他にも木更津君とかダビデ君とか、サエとは違
うタイプだけど、イイ男揃いよ」
「紹介しろ!」
「言うと思った。今度予定聞いとくね」


間髪いれずに食いついてきたに笑いながら、彼らのうちで今フリーなのは
誰だったかと記憶を探る。仮にも恋人であるサエではなく、その友人達の着信履
歴で埋まった携帯を思うと一抹の空しさを覚えたが、それも今更だ。
鬱屈した思いを振り切るように弄んでいたカップの中身を飲み干して、私は勢い
良く立ち上がった。


「さて、それじゃあ残りの仕事をさっさと片付けて帰ろっと」
「おう、残業頑張れー」
「アンタは仕事終わってんだからさっさと帰れよ」
「これ飲み終わったらね」


猫舌な彼女のカップにはまだ半分以上残っているらしく、座り心地が良いとは言
えない食堂の椅子から動く気配すらない。そんな親友の姿に苦笑いを一つくれて
から、宣言どおり仕事を片付けに、もう誰もいない自分の部署へ戻った。









月初と言うのはどうしてこう、さして重要ではないけれどでも必ず片付けなくて
はならないペーパーワークが溜まるのだろう、と殆ど機械的に処理していきなが
ら考える。
……まぁ、月末に最優先の書類を片付けなきゃならないから必然的にそうなるの
だろうけど。


「私もそんな感じだったりしてね」


今すぐにどうこうしなくてもいい、後回しにしても全然かまわない存在だから放
置されっぱなしなだけなのかも。正式に付き合いたい相手が出来たら、やっと処
理されるのか……。


「有り得る」
「なにが?」
「!!」


びっくりした。
今、本気でビックリしたよ。
誰もいないと思ってたから…っ。


「ゴメン、驚かせちゃったかな」
「さ、え…」
「でも驚きすぎだろ。今の、餌食べてるときに背中撫でられた猫そっくり
だったよ」


センサーで人の動きを感知して燈る照明は当然今は私の周囲しか照らしていない。
就業時間よりも遥かに薄暗いフロアで、私を驚かせた張本人はくつくつと肩を震
わせて笑っている。


「…どうしたの?」
「え? ああ、まだこのフロアの照明がついてたから、誰が残ってるのかと思っ
てのぞいてみたらだったから」
「そうじゃなくて! ……なんでまだ会社にいるの? 秘書課と開発課の合コン
に行くんじゃなかったの」


壁掛けの時計に目をやるまでもない、と休憩してた時点で20時を回って
いたのだ。それから1時間は有に過ぎている。何時スタートだったのかは知らな
いが、少なくとも1次会は確実にお開きになっているはずだ。
問うと、サエはほんの少し眉間に皺を寄せた。
形だけの彼女でも、目の前にすると少しは後ろめたいのだろうか。


「……知ってたんだ?」
「さっき聞いたの」
「そっか」
「秘書課の人達楽しみにしてたみたいよ。なのにすっぽかしたの?」
「いや、それは…」


いつも朗らかな彼にしては珍しく、沈んだ表情で何か言いあぐねているような様
子だったけれど、私はなんだか馬鹿馬鹿しくなってきたのでさっさとパソコンの
ディスプレイに注意を戻した。
だって、言い訳をするなら誕生日に合コンに行こうとしたことに対してするべき
なのであって、どうして行かなかった言い訳を聞かされなきゃならないの。
苛立っていても私の指は性格にキーボードを叩いていく。
項目を埋めて幾つかの書面を出力し、ざっとチェックすると纏めて上司の未処理
ボックスへ放り込んだ。

さて、帰ろう。

パソコンとプリンタの電源を落とし、鞄を掴んでフロアを出ようとしたら……す
ぐ後ろに立っていたらしいサエにぶつかった。


「わ、ごめん!」


慌てて体勢を立て直す。
「大丈夫?」学生時代テニスで鍛えただけあってサエはよろけもせずに私を支え
てくれた。


「ありがとう……っていうか、まだいたの?」
「いちゃ、悪い?」
「悪かないけど……帰らないの?」


あれからずっと黙ってたから帰ったんだと思ってたのに。


「何か、用事でもあるの?」
「ああ……まぁ、そうかな」
「なに?」


珍しい。
サエが私に何の用だろう。
考えられるのは…………やっぱりアレか。別れ話。
何も誕生日にそんな話しなくてもいいじゃないかと思ったけれど、誕生日だから
こそキレイなカラダになって新しい彼女といちゃつきたいのかもしれない。

とにかく、何を言われても泣かないようにしなくちゃ。


「その……31日って空いてる?」
「…は?」


こっそり構えていたのに、サエは全く予想外のことを訊いて来た。


「俺の友だ…いや、知り合いが今月誕生日なんだけど、当日は無理だからってお
祝いパーティを月末にすることにしたらしくて、招待状貰ったんだ。けど、パー
トナー同伴でって書いてあってさ」


困りきった様子で差し出されたのは封筒に紋章らしきロゴが金の箔で押された随
分と上質そうな、『本物の』招待状。一体どんな知り合いよ、と問い詰めたい気
持ちは中面の文章を読んで更に高まった。


「……何、この「噂のお前の女がどれほどモノかこの俺が見定めてやる」って」


有り得ないくらい俺様文章なんですけど?!
「そういう奴なんだよ。昔からね」サエも苦笑いしている。……けど、差出人の
名前を確認してそういうこともあるかと納得してしまった。
だって、日本有数の大企業グループのオーナー一族の名前なんだもの。


「サエ、すごい人と知り合いだったのね……この大袈裟な招待状も納得だわ」
「テニスやってた関係で中学からの知り合いなんだ。…で、一緒に行ってくれる
だろ?」
「………」
?」


断られる何て思ってもいなさそうなその綺麗な顔を見ていたら、急にムカついて
きた。同時に、何もかもがもうどうでも良くなった。


?」
「嫌よ」
「え?!」
「行かない」


誰か他の人を誘いなさいよ。
サエに招待状を返しながら言った。


「ちょっと待って、!」
「離して」


慌てたサエが私の二の腕を掴んだけれど、反射的にそれを跳ね除ける。
その拍子に彼と目が合った。


「もういい」
?」
「別れる。さよなら、今までどうもありがとう。……っても、別に何があったわ
けでもないけど」


このくらいの皮肉は許されるだろうか。
なら「それくらいじゃまだまだ手ぬるい!」とか言って怒りそう。

これ以上ここにいるのも彼と話すのも苦痛で、サエが呆気にとられてる隙に足早
にフロアを後にした。
エレベータのボタンを押したが、全部1Fに行ってしまっている。ここは14階
だから暫く待たないといけない。
…ま、この時間じゃそれも当然だけど。


「あー…」


とうとう言っちゃったなぁ。
じわりと目の前が滲む。けれど妙にすっきりした気分だった。
帰ったらにメールしよう。でもって明日、愚痴を聞いてもらおう。急に呼
び出しても内容が内容だけに怒られないと思うし。そうそう、いっちゃんたちに
もメールしないとダメかな。一応ちゃんと、別れましたって報告しとかないと気
まずいよね。それともそっちの連絡はサエの方から行くのかな。
とにかく今日は早いトコ家に帰っていっぱい泣こう。
駅ビルの高級スーパーでスコーン買って、お気に入りの紅茶淹れて、自棄食いす
るんだ。ちょっと位太ったって構うもんか。


!」


折角この後の予定を立てたのに、私はまたしてもサエに捕まってしまった。
しかも今度は腕や肩ではなくて、完全に彼の腕の中に抱き込まれる形で。


「な、なに?」
「行かせない」
「サエ?」
「別れない。絶対に自由になんかさせないよ」


何だ、それは。
どういう意味なの。


「な、んの、いやがらせ…?」
「嫌がらせって……違うよ」
「ウソ。だって、こんなのおかしいじゃないっ」


散々ほったらかしてきたくせに。
キスはおろか、手だって殆ど握ったことなんかなかったくせに。


どうして貴方から離れようとした今になって、私を抱き締めているの。


「黙っていいようにされてる便利な女がそんなに惜しいの?」
「違う」
「違わないでしょ。自分の誕生日には無視するくせに、友達の前でだけ彼女扱い
するのはその方が何かと都合がいいからでしょ」
「違う!」


耳元で怒鳴られて、ビクリと身体が跳ねた。
彼が声を荒げたところなんて見たこともなかったから。


「……ほら、そうやって怯えるんだ」


だけどサエはそんな私の身体を一層押さえつけるみたいに抱き締めて、言った。


に告白されたとき、俺がどんなに嬉しかったと思う? おれはずっとキ
ミのことが好きだったから……だけど、あの時キミは酔ってたし、その後の態度
も殆ど変わらなくて。だからずっと自信が持てなかった。あの告白には俺が思う
ほどの意味はなかったんじゃないか、ホントはキミはそんなに俺のこと好きじゃ
ないんじゃないかって」


苦しげな、絞り出すような声はとても悲しげに響いた。
今日はなんていう日だろう。
見たことのない彼の姿ばかりを見せられている。


「いつ、キミがアレは寄ってたから無効だって言ってくるか気が気じゃなくて。
だけど俺はやっと手に入れたキミを手放すつもりなんかなかったから、キミを彼
女だってわざと公言して、バネたちにも紹介した。公認にしてしまえば撤回しよ
うにも出来なくなるだろ」
「そんな…」
「だけど、そうしたら今度はバネ達とすっかり仲良くなっちゃうし。俺と話すと
きはいつだって緊張した顔するくせにバネたちにはそうじゃない。自然で楽しげ
な笑顔で……」
「だ、だってそれは」


当然じゃないか。
好きな相手と話すのに、緊張しない女はいない。
…そりゃあ、ずっと親しくなってしまえば別だけど。でもサエとは打ち解ける機
会なんてこれっぽっちもなかった。


「アイツらを紹介してから、デートに行ってもキミの口から出てくるのはバネや
いっちゃんの名前ばかりで、それを聞かされる俺がどんなに嫉妬してたか解らな
いだろう?」
「……だからデートに誘ってくれなくなったの?」
「他の女の子と話していてもはヤキモチも焼いてくれない。関心がないっ
て言わんばかりに涼しい顔して、俺ばっかりキミを好きで」
「そんな、理由で?」


そんな、つまらない理由で1年も放置されていたと言うのか、私は。
一年もの間、私がどんな気持ちでいたと…っ。


「信じられない…」


激しく脱力してしまった私の身体はその場に座り込む代わりにサエに全体重を預
けた。


「…?」


急に抵抗がなくなったのを怪訝に思ったのだろう、少し手の力を緩めて不安げに
顔を窺ってくるサエをきっと下から睨みつけてやった。


「言いなさいよ、この馬鹿っ」


ついでに、どんっと意外に厚いその胸板を殴ってやる。


「さっさとアンタの気持ちを言ってくれれば、それで済んだ話だったんじゃない
の!」
「……そうだね、ごめん」
「自分ばっかり不安がって、私が、私のほうがずっと不安だったわよ!」


なにせ、私は一度きりとはいえ自分の気持ちを伝えたが、彼は一度も言ってくれ
なかったのだ。
この差ははっきり言って巨大だ。


「ごめん。好きだよ。キミが、が好きだ。だから別れるなんて言わないで
よ。頼むから」
「当たり前でしょ! 私だってサエが好きだよ!」


一生別れてなんかやるもんか。
遅い時間とはいえ、まだ誰か残っているかもしれない会社のエレベータホールだ
と言うのに、構うことなくそう怒鳴って号泣したことはには内緒にしてお
こうと心に誓った。








fin.
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ニセモノ過ぎる……けど、お誕生日おめでとう、サエさん!