静かな部屋。
さして広くもない部屋に人が二人もいるというのに、さっきから聞こえるのは
「………ハァ………」
神の溜息だけ。
それが聞こえていないわけでもないだろうに、の視線はひたすら手元に注が
れ続けている。一旦集中すると本人の気が済むまでは絶対に他に意識が向かないの
はこれまでの短くはない付き合いで充分承知しているし、滅多に見ることの出来な
い真剣な表情を見れるのは嬉しい。
が。
流石に。
「ちゃ〜ん」
折角の休日に一緒にいるのに2時間以上も恋人を放っておくというのは如何なもの
かと思うよ?
愛のバクダン
「だって、最初に本読み出したの宗一郎クンじゃない」
お気に入りの香気を楽しみつつ、は神の淹れた紅茶を一口啜った。
「やることなくて暇だったから、やりかけだったのの続きしてただけよ」
「それはそうだけどさ…」
それの何が悪いのか、と素で首を捻るに、持参したおやつと淹れたての紅茶
でようやく彼女の気を惹くことに成功した神は苦笑するしかない。
の好きなクッキーを買ってきておいて良かった
神は一枚つまみながらしみじみと、これを買ったときの自分の判断を自讃する。
これがなければ今日は本当に一日中放ったらかされてたかもしれないのだ。
これは冗談でも誇張でもない。
実際に神は過去に幾度かその憂き目をみている。
喧嘩してるわけでも機嫌が悪いわけでもないのに恋人に無視される。
これはだれでも一度経験してみればわかると思うが、かなり辛い。
ましてやここのところお互いに仕事やプライヴェートで忙しく、まともにデートす
ら出来なかったのがようやく落ち着いて、今日は久し振りに一日中二人一緒にのん
びりゆっくり、思う存分いちゃいちゃできると期待していれば尚更だ。
毎度のことならばいい加減神も慣れようが、の場合、神がその被害の記憶を
かなり忘れた頃に突然クるのだから性質が悪いとしか言いようがない。
しかも本人には恋人を無視していたつもりも悪いことをしたという意識もなく、勿
論悪意があってしたことでもないので怒るにも怒れない。
なので神は毎回、
「…まぁ、いいよ」
「?」
溜息と共に諦めることになる。
全くもって報われない。
の、だが。
「ああ、やっぱり宗一郎クンの淹れてくれたお茶は美味しいなぁ」
華奢なカップを両手で抱えてのその幸せそうな微笑と言葉に、なんだかもうそれだ
けで全てを許してしまえる気になってしまう。
これはきっと紛れもなく。
惚れた弱みと言うやつなのだろう。
「…俺も相当甘いよね」
「ん? なに?」
「なんでもない。……ところで、どうして今頃編み物なんかしてるの?」
毛糸玉、編み針、編みかけの何か・・・
神は不思議そうにの傍らに置かれたそれを見遣った。
細々とした手仕事をするのが大好きな彼女のことだから、編み物をすること自体は
意外でもないけれど、実際にしているところを神が見るのは初めてだった。
「どうしてって?」
「だって、まだ秋になったばかりなのに」
「だから編んでるんじゃない」
「え?」
「冬になってから編んだんじゃ、出来上がってから使える期間が短いでしょ? そ
れに、最近肌寒くなってきたから、編んでると膝があったかくて丁度良いの」
「ああ、成程」
「納得頂けまして?」
「まぁね。…で、何編んでるの?」
マロンブラウンに白とピンクとグリーンという可愛らしい色の組み合わせからして
神用にセーターやマフラーを、というわけではなさそうだが。
「これは膝掛け。家でネットしてるときとか、結構寒いのよね」
「……あ、そ」
予想はしていても、残念なことに変わりはない。
尖る唇は無意識だ。
「」
「んー?」
「俺ね、今年は紺色のセーター買おうかなって思ってるんだけど」
「そうなの?」
「うん」
「でも、青は肌が青白く見えるから似合わないんだーって前に自分で言ってなかっ
たっけ?」
「そうだけど、今は紺がマイブームなんだ」
「へーぇ」
「……それだけ?」
「ん?」
「なんでもない」
言って、こっそりと溜息を一つ。
ここまで言えば明らかに「編んでくれ」と言ってるようなものだと思うのだが、ど
うもには通じていないらしい。
かといって素直に「の手編み」が欲しい、なんて正面切って頼むのは気恥ず
かしいし、自分だけが相手に惚れこんでる様でなんだか癪に障る。
「……ほんと、俺って報われない」
互いの恋心を測る天秤があるのならば、絶対に自分の方が圧倒的に重いのだろう。
が自分を好いていないと言うつもりはないしはなりに愛してく
れているのは解っているけれど、惚れ込んで、溺れて、甘えて依存してる度合いは
確実に神が上だと自覚がある。
考えれば考えるほど空しくなってきて、とうとう神は盛大な溜息を吐き出した。
「お疲れ?」
「そうじゃないよ」
それでも、こんな風に瞳に心配の色を乗せて顔を覗き込まれたりするとそれだけで、
の愛を感じて心が温かみを取り戻す。
なんて単純なのだろう。
「ならいいけど」
「……それだけ?」
「何が?」
「……もういい」
もっと心配してくれてもいいのに。
のそっけなさに浮いた心がまた沈む。
まるでジェットコースターに乗ってるよう。
こんなことで拗ねるなんてお前は子供かと、どこかで冷静な自分が嘲笑う。
「でも良かった。紺なら茶色と相性悪くないもんね」
「は?」
いきなり的外れなコメントに顔を上げると、はなにやらごそごそと毛糸玉の
詰まった袋を掻き回し、奥から「これこれ」といくつか引っ張り出した。
それは、ダークブラウンとダークグレイの毛糸玉で。
「え?」
「ほら、去年宗一郎クンってばマフラーの上にラーメンのスープ盛大にぶちまけて
駄目にしちゃったって言ってたでしょ?」
「…あぁ、そう言えば」
言われて思い出した。
もっとも、ラーメンをひっくり返したの彼自身ではなくて高校時代からの後輩だっ
たのだけれども。
「ごめんね、折角のクリスマスプレゼントだったのに」
「気にしなくていいよ」
形あるものはいつかは壊れるって言うでしょう。
はそう言って笑ってくれるけれど。
白い上質のカシミヤ製のそれに大きな茶色い染みが広がったのを見た瞬間から数分
間の記憶が曖昧だ。
気がつけば元凶の信長は紙のように顔色を白くして気絶していたし、一緒にいた先
輩たちは引き攣った顔で何故か神を羽交い絞めにしていた。
あの時何があったのか(何をしたのか)、後になって訊ねてみても誰一人答えてく
れる者はいなかったため、今でも謎のまま残っている。
「でさ、それが2月の末で、もう冬も終わるからってそのまま新しいの買わなかっ
たでしょ?」
「うん」
「だから宗一郎クンに編んであげようと思ってたの。マフラーだけじゃつまんない
から、帽子とお揃いのデザインにして」
「え? でも」
それならどうして膝掛けを編んでいるのかと訊ねる前に、その問いを察したのだろ
うは「うん」と照れ笑いと共に頷いた。
「それがね、編み物するのすごく久し振りだから、手が感覚忘れちゃっててさ。ま
ずはリハビリ代わりに自分の分編んでるの。やっぱり練習しないと編み目が揃わな
くてガタガタになっちゃうから」
「そう…なの?」
「そうなの」
至極真面目に頷くにそんなの気にしなくていいのにと言ったら、そんなわけ
にはいかないの、と即答されてしまった。
「大好きな宗一郎クンにカッコ悪いモノはあげられません」
きっぱりと。
頬を染めながらも、臆面もなくそんな事を断言するなんて。
かぁぁっと一気に顔の温度が上がるのを感じ、神は慌てて右手で顔を抑えた。
「」
「ん?」
駄目だ。
抑えても抑えても。
顔がにやける。
「それ、反則」
愛されてない?
報われない?
―――とんでもない!!
「はやく冬にならないかなぁ」
窓から見える空を見上げて呟く神の手にはいつも読んでる月刊誌。
「冬は鍋が美味しいもんね」
蟹でしょ、河豚でしょ、キムチチゲもいいよねと返すの手はせっせと編み針
を動かしている。
その姿を存分に眺めつつ。
「はやく冬にならないかなぁ」
神は最近口癖になった言葉をまた繰り返した。
fin.
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『秋祭り』参加作品です。
画像:<ivory>様