日が落ちても纏わり付くような湿気と熱気にうんざりしながら、キーケースから鍵
を選り分けた。


「おじゃましまーす」


部屋の主が不在なのは分かっている。
2時間ほど前に「どうしても残業しなくちゃならなくなった」と携帯にメールを貰っ
たから。
それなのに声を掛けるのはただの習慣でしかない。
何となく、言わないと落ち着かないと言うか……彼はそんな私を「躾がいいんだな」
なんて飼い猫でも褒めるみたいにぐりぐりと頭を撫でた。



それにしても、贅沢な部屋。



何度来てもそう思う。
一人暮らしのくせに、3LDKも必要なのだろうか?
部屋の一つは本に埋もれてて、もう一つは彼の寝室。残る一つは一応客用寝室とい
うことになってはいるけれど、勿体無いことに実質は空き部屋だ。
そしてリヴィングにはホームシアターまで完備。(これは映画好きな私にはとても
嬉しいのだけれど)

……まぁ、しがないOLと外資系企業のSEの経済観念を比べること自体間違って
いるのだろうけど。

玄関脇の、彼の蔵書が山と積まれて書斎なんだか物置なんだか分からない部屋の窓
を少し開けてから、居間に行ってベランダへ通じるガラス戸を全開にすると途端に
風が通って部屋に篭っていた熱気を何処かへ運んでいった。


「う〜、いい風」


エアコンの人工的な冷たさも、扇風機の強制的な風も苦手な私には、この穏やかに
通る風が丁度良い。
汗ばむ肌を風にさらしつつ飲む冷えた麦茶ほど美味しいものはない。
暫くそうしてのんびりした後、弾みをつけて立ち上がり、玄関先に放り出したまま
の食材を冷蔵庫に放り込んで、代わりに別の食材を取り出していく。

冷えたトマト、キュウリ、ハム、卵、かいわれ菜、わかめに大豆もやしとお豆腐、
それからツナ缶、忘れちゃいけない冷麺。

手早く薄焼き卵を焼き、それとキュウリとハムを千切りに。トマトだけは八つ切り。
その間に湯を沸かして麺をゆで、素早く氷水で冷やし、水切りする。
かいわれ菜と切った食材を放射状に飾り付け、ラップをして冷蔵庫に入れた。

次に水で戻したわかめの水をぎゅっと絞って茹でたもやしとお豆腐とツナでサラダ
を作り、これまたラップをして冷蔵庫に。
冷麺のタレもサラダのドレッシングもこだわりのお手製で、これは頂く直前にかけ
るので、やはり冷蔵庫に入れたが、冷麺のタレだけは半分製氷機に入れて凍らせた。
私は冷麺のタレが氷で薄まるのがどうしても気に入らないのだ。

二人分の夕食を作り終え、することがなくなってしまったのでシャワーを浴びた。
着替えは彼のクローゼットの一角を占拠して置いてある。
さっぱりしつつも火照った身体に夜風がやっぱり気持ち良い。




ひゅるるるるる………ぱぁん




遠くの音が鼓膜に響いてくる。
照明を落としているせいで、赤や黄色や緑のまだらに染まる室内。




ぱらぱらぱらぱら…




一瞬だけ明るくなって、また元の暗さに戻る。

ソファには座らず、そこに背を持たせかけるようにして床に座って涼んでいたら、
ガチャリと玄関の鍵が開く音がした。

それから、ごそごそと靴を脱ぎ、ドサリと寝室に鞄を放り込む音が聞こえ―――


「おかえりなさい」
「ただいま」


首だけで振り返った私に、透は「また床に座り込んでる」と笑う。
私と違ってお行儀の良い透はソファに浅く腰を下ろしてぐったりと背凭れに身体を
預けて大きく息を吐いた。


「……お疲れ?」
「まぁね、ここのところ忙しかったし。今日は絶対8時半までには帰るつもりで集
中してやったから」




ひゅるるるるる……




「あ、やっぱりもう始まってたか」
「うん。8時からだしね」




ぱあんっ




「ご飯出来てるよ?」
「いや…これ見てからで良いよ」
「そうだね」




ぱらぱらぱら…




「綺麗だねぇ」
「綺麗だな」


夜空に咲く大輪の花。
鮮やかに咲き誇っては一瞬で消えていく夏の風物詩。
絶好のロケーションにあるこのマンションからは、ベランダに出なくてもそれを鑑
賞できるのだ。

本当に、なんて贅沢。


「……
「ん?」




ひゅぅぅぅうん……




「そろそろ、こっちに引っ越してこないか?」










どぉん










「……へ?」


見上げた透の顔は、花火のせいじゃなく赤くなっていて。
きっと私はかなり間抜けな顔をしていたはずだ。


「引っ越してこないかって……一緒に住むってこと?」
「まぁ…そういうことだな」


ばらばらばらばらばら……


「空いてる客室をの部屋にすればいいし、の本は書斎に一緒に入れれ
ばいい」
「や、まぁ、それはそうなんだけど」
もこの部屋居心地良いって言ってただろ?」
「うん……確かに」


居心地は、最高なのだ。
駅から少し離れているのが難点だけれど、その分車の往来は少ないし、こうやって
夏には花火も見れる。


「元々、その為に3LDK借りたんだし」
「は? そうなの?!」


オニーサン、それはちょっと先走りすぎじゃないの?!


「……嫌か?」


い、嫌って言うか、何と言うか。


「嫌とかじゃ……ないけど」


何と言うか……はっきり言ってしまえば、照れる。
そりゃあ、結構長い付き合いだし、今更照れる柄でもないとは思うけれど、こう改
めて同棲を切り出されるとは思っていなくて。

だけど透はそんな私の乙女心が分かるほど気障でも器用でもないから、


「嫌じゃないってことは、良いってことだよな?」


そんな風に強引に話を纏めてしまう。


「え? えと…」
「……ダメ、なのか?」


いや、そんなシュンとしないでよ!
強気なのか弱気なのかわかんないじゃない!


…」


あああああ、だから、私はその顔に弱いんだってば……大体、何でそんなにデカい
図体してるのに、捨てられた子犬みたいに見えるのよー?!


「えと、その…あの、嫌なわけじゃなくて、ね?」
「うん」
「だから、えーっと………ヨ、ヨロシクオネガイシマス」


結局、惚れた弱みというやつには勝てなくて。
だけど棒読みで軽く頭を下げた途端に見れた、透のやけに嬉しそうな顔に、まぁい
いかと思ってしまったのも本当。


「こちらこそ、宜しくお願いします。奥さん」
「はい」


それからゆっくりと透の顔が近付いてきて私は目を閉
じ………………………………………………………………………………………………
……………………………………………………………って。


「お、奥さん?!」


何の話ですかそれは?!
勢いよく顔を上げたら、丁度降りてきていた透の顎にぶつかりそうになって、透は
「うわっ」と声を上げてのけぞった。


「あ、ごめん」
「いや、いいけど」
「…………」
「…………」


気まずい沈黙。
それを先に破ったのは透だった。


「……、お前ただ単に一緒に暮らすだけだと思ってたな?」
「うん…」
「そうか、それで反応がおかしかったのか」


透は何か一人で納得してくつくつと笑った。
私はどんどんと頬の温度が上がっていくのを感じていた。


「これだけ付き合ってきて、今更同棲はないだろ?」
「う…」


言われてみればそうかも。
寧ろ「結婚」という単語を思いつくのが普通と言うか、当然よね。


「それとも、俺と結婚するのは嫌か?」
「そんなわけない!!」


それだけは、絶対、何があっても無い!!
ぶんぶんと首を振っていたら、とうとう透は我慢しきれない、といった感じで声を
上げて笑った。


「透!」


私は真剣なのに!
咎めるように名を呼ぶと、「分かってるよ」と頭をくしゃりと撫でられた。
……まだ笑いながらではあったけど。














ひゅるるるるる……







一旦治まっていた打ち上げの音がまた聞こえてきた。


私は腰を上げて床の上からソファの上へ座りなおし、改めて透の顔を見つめた。
透の大きな手が私の頬を包んだ。


「では改めて……」


漸く笑い終えた透が、こほんと咳払いする。


「俺と結婚してください」
「…喜んで」








ぱあんっ


ぱらぱらぱらぱら…








二人一緒に、赤黄緑のまだらに染まった。







fin.


<あとがき>

は、恥ずかしい……(照)でも、夏=花火とイメージした途端、花形の顔が思い浮かびました。
こんな優しいプロポーズされてみたい…


2005『夏祭り』に投稿させていただきました。