「おはよ、透」
「ああ、おはよう」


朝の挨拶を何気なく交わして。

ふわりと香ったそれに、思わず顔を顰めた。









I'm in Love?









「……ちょっと、どうしたのよお宅のダンナさん」
「わかんない」


そろそろ朝錬が終る頃かな、と思っていたら、予想通りサンが教室に来た。
そして予想通りの質問をされたので予め用意しておいた回答を返すと、「わからないじゃ困
るんだけど」と苦笑しつつ私の机に腰を下ろした。


「行儀悪いよ?」
「いーの。だって椅子空いてないじゃん」


それは確かに。
もうあと5分くらいで朝のSHR始まっちゃうし。


「何かね、矢鱈機嫌悪い…ってそれは違うな、考え込んでるって言うか。ドツボに嵌ってる
って感じ? 下級生のコ達が怯えちゃってるんだよね」
サンも大変だね。もうとっくに部活引退したのに」
「そのはずなんだけどねぇ? 自分でも不思議」


サンは苦笑するけれど、満更でもなさそうに笑う。


「元部長を筆頭に、引退したはずの奴らが揃って朝錬にまで出てきてるもんだから。私だけ
出ないわけにもいかないし」
「受験もあるのに、皆どうしてるの?」
「どうせ、受験があるから余計に落ち着かないんでしょ。焦る気持ちをバスケで紛らわせて
るってトコロかな」
「バスケバカの集まりだもんね」
「そーそー。……って、そんな事はどーでも良いんだってば」


何かあった?
と訊かれても、本当に何も思い当たらない。


「朝、挨拶した時からそうなんだよね」


思わず溜息が出た。
朝一で彼氏に不機嫌な顔を向けられる事ほど不景気な事はない。


「ふぅん? ……じゃあ、本当に喧嘩したとかじゃないんだ? てっきりそうだと思ったの
になぁ?」
「別に喧嘩もしてないし、透の機嫌損ねるような事をした覚えもないよ。……なんで私が原
因だと思ったの?」


訊いたら、サンは「それは秘密です」と人差し指を唇の前に立てて笑んだ。
小首を傾げて楽しそうに微笑む彼女は女の私から見てもとても可愛い。男バスなんていうデ
カくてゴツくてムサい(勿論、藤真クンは除く)部のマネージャーやってるのは勿体無いと
誰もが思うだろうというくらいに可愛い。なのに中身は相当な(下手したら透よりもよっぽ
ど)『男前』なんだから、神様も意地悪な事をするなぁ…と、彼女を見る度に思ってしまう。


「何でも良いけど、花形君の悩みを早いトコ取り除いてやってね。できれば藤真の機嫌が悪
くなってマネの私に被害が及ばない内に」


ぽんぽん、と髪を乱さない程度に軽く頭を叩いて、サンは自分の教室に戻っていった。
彼女が姿を消すのと予鈴が鳴るのが殆ど同時だったのが、流石だと思った。













早く、とサンには言われたけど。

肝心の透が、お昼も藤真クンとミーティングがあるとかで部室へ行ってしまったので、結局
二人で話せる時間が取れたのは部活の後になってしまった。

いつもなら帰宅部の私は図書室で時間をつぶし、透が迎えに来てくれるのを待つのだけれど、
今日は私が早めに出て部室の前で彼が出てくるのを待つことにした。
何といっても透達3年生は引退した身、1・2年生よりはずっと早く練習を終えるから。

カラリ…

乾いた音がする度に顔を上げる。


、何やってるんだそんなところで」


出てきたのは透ではなくて長谷川クンで、壁に凭れ掛かって立っている私を不思議そうに見
下ろした。


「花形、呼ぼうか?」
「あ、いいよ。もうすぐ出てくるでしょ?」
「そうだな。じゃあ、お先」
「お疲れ様。また明日ね」


似たような会話を数回繰り返すと、漸く透が出てきた。



「お疲れ様」


驚いたように瞠った瞳に私が映っているのを確認して微笑んだ。
そういえば、名前を呼ばれたのは今日はこれが初めてだな、と気付く。

「帰ろうか」と促すと、彼は「ああ」と低い声で返してくれたけど……やっぱりまだご機嫌
は直っていないみたいだった。



暫く二人無言で歩く。



さんの言った通り、透は何かを考えているようで、前を見ているのかいないのか、そ
れすらも怪しい。
時折曲がり角を通り過ぎそうになるので、仕方なく肘を掴むと、びくっとされてしまった。


「…そんなに驚かなくてもいいじゃない」


考え事してて存在を忘れられてたのは薄々気がついてたけど、そこまで驚かれると正直言っ
て凹む。彼女なのに。


「…あー……悪い」
「謝ってもらわなくても良いけどさ……」


謝られるとやっぱり私がいること忘れてたんだなーって再確認して却って凹むし。


「朝から機嫌悪いよね」
「そんなことは……」
「もしかして、私何かした?」


誤魔化されるのは嫌なので、畳み掛ける。
透はあからさまに私から目を逸らせた。

……それが逆に私に確信させた。


「やっぱり、私が原因なんだ」
「いや、が悪いってわけじゃないっ」


呟くように言うと、透は目に見えて動揺した。
サンすごい。ビンゴだ。


「私は悪くない。…でも、私が原因なんだ?」
「…………」
「言ってくれなきゃ解らないよ?」


顔ごと視線を逸らし続ける彼の頬に両手を添えて、無理矢理視線を合わせる。
私と透の身長差はとてつもなくて、長時間この姿勢を続けるのは辛いものがあるのだけど、
この際そんな事は言ってられない。
じっと透の目を見つめていると、暫くして、彼は大きく溜息をついた。


「………、香水変えた?」
「ふぇ?」


思わず変な声が出ちゃったよ。
だって、あまりにも予想外だったしさ。
しかも質問されるなんて思ってなかったし。


「変えた、だろ? なんか、柑橘系の…」
「あ、ああ、うん。変えた。中学の時の友達がクリスマスには少し早いけどってくれたの」


は限定モノに弱いから」と言いながらくれたイヴ・サン・ローランの香水は数年前に
期間限定で販売されて大人気だったらしく、今年もまた期間限定で再販されたもの。グレー
プフルーツの香りがとても爽やかで、一発で気に入った。
名前は……女の子から貰うにはちょっと照れ臭いんだけど。


「え? 何? この匂い、嫌い?」


もしかしてそれで機嫌悪かったの?
慌てて尋ねると、透は「嫌いじゃない」と首を振る。

代りに、すごく言い辛そうに、


「友達って……女?」


なんて訊くから、


「も、勿論だよ!! そんな、ただの男友達から香水なんて貰わないよ!!」


私も慌ててしまって、必要以上に手をばたばた振って否定してしまった。
でも、「そうか」と頷いた彼がやけにほっとした表情をしたものだから、ちょっと騒ぎ過ぎ
じゃったけど、まぁいいか、という気になって顔が緩んだ。


「……何笑ってる?」
「え? んー……もしかして、嫉妬してくれたのかなぁ? って思って」


そうだったら嬉しい。
透はあんまりそういう感情を見せてくれる事がないから。
彼は結構女の子にモテるので、いつも騒ぐのは私のほうだったし。


だけど一つだけ気になった。


「…透?」
「ん?」
「もしかして、この香水の名前、知ってたり、する?」


一言づつ区切るようにして問うと、途端に彼の頬が赤く染まった。
眼鏡の奥の瞳が見開かれてる。


「図星だ」
「………まいったな」


ふぅっと息を吐いて、クシャリと前髪を掻き揚げた。
照れ隠しの苦笑が可愛いと言ったら、きっと拗ねるのだろうから言わないでおく。
彼の頬に添えたままだった両手が、一回り以上大きなそれに包まれてゆっくり引き下ろされ
る。そのままぎゅっと握り込まれた。


「それで機嫌が悪かったんだね。……モトカレに貰ったとでも思ったの?」
「当り」


それで私がモトカレとよりを戻して、自分は捨てられるかもって心配してたの?


「……そんなのありえないよ」
「うん。分ってる」


握られたままの手を解いて、右手だけ繋ぐ。


「分ってて、心配したの?」
「俺はを信じてるけど、それと不安になるのとはまた別なんだよ」


ぎゅっと力を入れて握ったら、同じ位の力の強さで握り返された。
二人、止めてた足を動かし始める。

『IN LOVE AGAIN』

別れたモトカレのところに戻るなんてありえない。
私の心はとっくに透のものなんだから。
(大体、モトカレの顔なんてもう覚えてないっての)












「……ねぇ、どうして香水の名前なんて知ってたの?」
「あー……いや、それは……」


澄ました顔して、結構朴念仁のくせにあやしいと、頬を染めてそっぽを向いた恋人をそれで
も問い詰めれば、答えは意外というか簡単というか。


「クリスマスプレゼント、に同じの買ったんだ」


限定モノに弱いから喜ぶかな、って、理由まで友達と同じだったのには笑ったけど。
それで、同じ物が重なっちゃって渡すのやめようかどうしようかってことでも悩んでたと打
ち明けられたのには呆れたけど。



『IN LOVE AGAIN』


もう一度恋に落ちる。



もう一度といわず何度でも。

私はこの背が高くて器用そうで不器用な花形透という人に、恋に落とされる。




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100GETの栖吉倫子さんのリク
「『IN LOVE AGAIN』を絡ませた花形夢」でした。

IN LOVE AGAINを「愛ふたたび」とまるでタカラヅカのように訳した倫子に捧ぐ(笑)