「うあー、目がしぱしぱする」


……まぁ、あれだけ泣いたら当たり前なのだけれど。











世界と引き換えにしても欲しいもの










外来患者の診察が一段落したところですかさず目薬を取り出し両目に注す
の様子に、カルテを整理していた看護士がクスクスと笑う。


「仕方ありませんよ、そんなに腫れぼったい目をしてちゃ」
「あー……まぁ」
「告白されて大泣きしちゃうほど、先生ってばはたけ上忍のこと好きだったん
ですねぇ」


先生ってば、可愛い。
キャーッ、と囃し立てられる中、はひたすら苦笑い。


あの、店一件巻き込んでの盛大な「告白劇」(?)から一夜明けて。

……そう。

まだたった一夜明けただけなのに。
時間にすればほんの8時間経過しただけだ。


なのに。


どうして。


一部誤解はあるものの昨晩のことが里中に知れ渡っているのか。
今日だけで4人の患者さんから「おめでとう」と言われ、2人の女性の患者さんに
は恨みがましく睨まれ、4人の忍者が押し掛けてきて  何故か涙ながらに  
真偽の程を質された。
はあの場にいた忍者連中一人一人の首を締め上げて脳震盪を起こすまで
激しくシェイクしつつ問い詰めたい気分で一杯だ。


機密保持の精神はどうした、木の葉。


「いいなぁ、アタシも素敵な彼氏が欲し〜ぃ」
「ハハハハハ…ところで、今日はもうこれで患者さん終わりですよね?」


素敵かどうかは意見が分かれるところかもしれない、などと大変失礼なことを
考えつつも露骨に話を逸らしたら、有り難いことにあっさり気を逸らされてく
れた。


「あ、ええ。交代の先生も来られてますし、大丈夫ですよ。お疲れ様でした。
そういえば、さっき火影様からいつもの『呼び出し』が来てましたね」
「ええ、そうなんです。ちょっと行って来ます。お疲れ様でした」


ニコリと笑顔を交わしながらも手早く荷物を纏めていたの手に、こつん
と硬い感触が当たる。
何かとそちらに視線を向ければ、深緑色をした分厚い医学書で。
反射的にそれを貸してくれた持ち主の顔が思い出された。


「あ…そういえばこれも返さないとね」


いつでも良い、と言われていたが、借りてから既に相当な日数が過ぎている。
流石にそろそろやばかろう。
机の引き出しから無地の封筒を一枚引きずり出して本をその中に納め、鞄の中
に丁寧に入れ込んで病院を出た。
とはいえ、返すと口で言うのは簡単だが相手は何分にも忙しい忍者。
里の図書館でたまたま知り合っただけの間柄なので自宅の場所も知らないし、
受付所で訊いてみても生憎任務で不在だとの返事。
仕方ないので本の返却を応対してくれた親切な中忍に言付けて、自身は
火影の執務室へと案内されるに従った。
受付と案内してくれた二人の中忍にもカカシとのことを祝われたときにはもう
苦笑する気力も出なかったが。










…………疲れた。

今の気分を一言で言うなら、これに尽きる。
火影の執務室へ入ったを迎えたのは、いつにも増して意味ありげな笑み
を浮かべた三代目火影。
その笑みを見た瞬間に、もう今日の用事がなんなのか分かってしまった自分が
憎い、とさえ思ってしまった。

おそらくはカカシやその他から詳しい報告を受けているのだろうに、根掘り葉
掘り事情を訊かれ、答える度に火影のニヤニヤ笑いが深まっていく。
あの「ほうほう」という合いの手を聞かされる度にこの部屋吹き飛ばしてやろ
うかと考えてしまったのは秘密だ。


「……あの人は里のトップのくせに暇なのか?」


気を抜くと零れてしまう独り言と溜息は疲労の証だ。
身体は疲れていないはずなのに、何故か重たい足を引き摺りながら歩く。
それでも天気は上々だし、強くもなく弱くもない丁度いい乾いた風が頬や額を
くすぐるから、精神的な疲れなんていつの間にか吹き飛んでしまう。


いいところだなぁ、ほんとに。


今日の夕飯は何にしようかとか、洗濯物のアイロンがけやら細々したことを考
えていたの目が、遠くから歩いてくる人影を捉えた。
心なしか見覚えのあるそのシルエットに思わず足を止めてじっと見ていると、
それは徐々にはっきりした姿を見せてくる。


「あ、やっぱり!」


声を上げたに、向うも気付いたらしい。
顔を上げたと思った次の瞬間にはその人物はの目の前に立っていた。


「こんにちは、お久し振りです先生」
「本当に久し振りですね。お元気そうで何よりです」


突然の出現にいちいち驚いていては忍び里での生活はおぼつかない。
にっこり笑ったに相手も「まぁ、下忍の任務ですから危険は少ないです
よ」とずり落ちてもいないメガネを指で押し上げながら笑顔で返す。


「薬師さんはこれから受付所ですか?」
「ええ、任務完了の報告書を提出に」
「なら丁度良かった。さっき、お借りしてた本を返そうと思って、受付に預け
てきたところだったんです」
「本…?」


数秒考えるように首を傾げたが、すぐに思い出したようで「ああ」と頷く。


「わざわざありがとうございます」
「それはこっちの台詞です。ありがとうございました、色々勉強になりました」
「なら良かった。他にも興味深い文献がいくつかありますから、良ければまた
お貸ししますよ」
「や、でもご迷惑じゃ…」
「いえ、もう内容は全て頭に入ってますから」
「全部ですか?!」
「ええ、まぁ…」
「はぁ……薬師さんてすごい忍者さんなんですね」
「……そう言えば、はたけ上忍とお付き合いを始められたそうですね」
「ほへぇ?!」


……変な声が出てしまった。
まさか彼までもがその話を振ってくるとは思っていなかったから油断していた
せいなのだが。

だが、のその辺なりアクションにツッコミを入れることもなく、淡々と
優しげな笑顔で「おめでとうございます」などと言われてしまい、は体
勢を立て直すことも出来ないままに「ああああありがとうございます」などと
噛みまくった返答をしてしまった。

動揺しまくった挙句、頭を下げたのは良いが勢いをつけすぎてグラリ、と大き
くバランスが崩れる。


「う、わっ!」
「おっと」


動じることもなく片腕一本で支えたのは、さすが忍者、ということなのだろう。

ふわり、との鼻先を掠める微かな匂い。

力強い、腕。

どこか覚えのある匂いと、感触。





……え?





「大丈夫ですか?」
「あ、は、はい。すみません」


支えてくれたままの腕に縋って立ち上がる。
そっと腕が外されても、はじっとその温和な顔立ちを見つめてしまった。


「こちらこそすみません。…変な話題を振ってしまいましたね」
「あ、いえ……もう今日は一日中そのことで揶揄れ続けましたから、平気です」


その視線を勘違いしたのか、申し訳無さそうに謝られてしまい、慌ててそれを
否定したら、「だったら尚更」とまたもや謝られてしまう。


「しかし、はたけ上忍に浚われてしまうなんて、ね。それなら僕ももっと早く
先生に告白しておけばよかったかな」
「ま、またまた。薬師さんまでそんな冗談」
「僕は本気ですよ。……もう少しで貴女を手に入れそこなったんですからね」
「………や、だなぁ。こんなオバサン口説いてどうすんですか」


軽口を叩きながらも、自分が上手く笑えているかどうか自信が無い。
ぎこちない口調と表情は紅潮した顔が誤魔化してくれるだろうかと心配してい
る自分が不思議だった。


「年齢なんて関係なく、貴女は充分魅力的ですよ。……ですが、これ以上はは
たけ上忍が怖いので言うのを控えることにします。では、また」
「あ、はい。また」


あっさり背を向けて去っていくその背中をじっと見送る。
頭に浮かんだ疑惑を、理性が否定し本能がそうだと訴える。

けれども。


「……まさか、ね」


なんといっても彼は木の葉の忍なのだし。
確たる証拠だってないし。


「…うん。まさかだよ、まさか」


疑わしいものの調査はイビキがすると言っていたではないか。
ならば彼に任せていれば良いのだ。
素人の自分が曖昧な記憶だけを根拠に人を疑うのは良くない。

そう、自分に言い聞かせて  


「なーにが、まさか、なの?」
「うひゃあ?!」


突然耳元で囁かれた声に面白いくらい肩が跳ねた。
気分的には1mくらいは飛び上がった。


「か、カカシさん?!」
「やっ」


慌てて振り向けば、顔の大半を隠しているくせにのほほんとした顔がすぐ近く
の顔を覗き込んでいる。


「カカシ先生、ねーちゃんに近づき過ぎだってばよ!」
「いきなりいなくなったと思ったら!」
「……ちっ」


続いてすごい勢いで飛んできた彼の部下達にも動じることなく、カカシの両腕
はいつの間にかの腰に。


「ナルト?! って、か、カカシ先生、手!」
「あーーー!! なにするんだってばよ!!」
「キャー!! 先生のスケベっ!」」
「……っ!」
「うるさーいよ、お前達。はいそこサスケ、無言で手裏剣取り出さなーいの。
さんが驚いてるでしょーが」


いや、驚かしたのはアナタです。
抗議の言葉は出る前にカカシがよりべったりくっついてきたせいでせき止めら
れてしまった。
もう耳といわず首といわず、の全身真っ赤だ。


「先生離れろってばよ!!」
「やーだよ。折角愛しい恋人に逢えたんだから、抱き締めたいと思うのは当然
デショ?」
「や、あの今朝会ったばかりデスガ」
「あ、お前達今日の報告書出しといて。今日はそれで解散。俺達は先に帰って
るから」
「は?!」
「先生、ズリィ!」
「職権乱用!」
「………」
「これは上官の命令です。さ、行った行った」


ふくれっ面をするものの、上官命令と言われてしまえば逆らえない。
声高に不満を言いつつ去っていった三人の姿が見えなくなると、カカシは腕を
一旦離した。

かと思ったら、あっという間に横抱きに抱き上げられてしまう。


「カ、カカカカカカカシさん?!」
さん、「カ」が多すぎ」
「そ、そんなことはどーでも良いんですっ! それより降ろしてくださいよっ」
「えー? このまま俺の部屋まで帰ろうと思ったのに?」
「何も抱き上げなくてもっ」
「こういうのって『女の子の夢』なんじゃないの?」
「は?」


どうやら、サクラが「お姫様抱っこは女の子の夢」と以前に主張していたこと
があったらしい。
嬉しくないの? と顔を覗き込まれて、は一瞬言葉に詰まる。


「う、うれしくない、ことはないですけど、はずかしいですし、それに」
「それに?」
「……手」
「手?」
「を、繋いで帰りたいかなって…」


あまりの羞恥に目を伏せつつもちらりと目を上げて言えば、カカシも何故か赤
い顔をしていて。


「…カカシさん?」
「……っ」


呼びかけても、顔を背けるばかりで返事はしてくれない。
けれどもをそっと優しく降ろすと、「はい」と首を傾げるに手を
差し出してきたので、単に照れていただけなのだと分かった。

そっと手を重ねると、遠慮がちに握られて、そのまま無言で歩き出した。

そのそっけない態度が妙に可愛くて、嬉しくて。
が堪えきれずにクスクス笑うと、カカシも吊られるようにくつくつと喉
の奥で笑って。


「カカシさん」
「ん〜?」
「今日のお夕飯は何にしましょうか?」
「何でもいいけど、和食がいいなぁ」
「ブリの照り焼きとか?」
「いーね」


遠慮がちに繋いでいたはずの手はいつの間にかしっかりと握り合わされていた。

























「カカシさん」
「ん?」
「……私ね、この世界に来て良かった」
「…………………そっか」
「はい」







end.

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とりあえず、完結です。
拾い損ねた伏線とかありますが、それは番外編でなんとか…っ。

あからさま過ぎてする必要のない解題
「世界と引き換えにしても欲しいもの」=「カカシ」