1.

後ろに伸びる長い長い彼女の影を踏んだところで気付かれた。


「あれ、カカシさん?」
「やっ」


振り向いた彼女は立ち止まり、俺はそのまま足を進めて距離を縮める。
隣に立てば、当たり前のように彼女の足も動き出すのが何となく嬉しくて、口布の下で頬が緩んだ。


「今、帰り?」
「ええ。カカシさんもですか?」


泥だらけ。
俺の恰好を上から下までさらっと視線を流して困ったように笑う。
俺もちょっとだけバツが悪くて頭を掻いた。


「大して難しい任務じゃなかったんだけど、足場が悪くてね」
「足場?」
「そっ。泥湿地帯」


そこで何をしてたのかは、言う必要もないし彼女も聞いたりしない。


「それはそれは、ご愁傷様です」
「いえいえ、そちらこそ深夜勤ご苦労様です」


おどけた仕草で頭を下げあって、顔を見合わせて小さく笑う。
まだ寝静まったままのご近所さんを起こしちゃ申し訳ないから、そこのとこ
ろは気を使って。

二人が歩く、砂利の音だけが耳に届く。
静かで、平和な朝。
風に乗って香るこの甘い匂いは、何だったっけ?


「…あ、金木犀の匂い」
「あ、それ」
「え?」
「あ…いやその」


ぽそっと呟かれた言葉に、思わず反応してしまった。
同じことを考えていたのが判ったのだろうか、口元に浮かんだ笑みが心持ち嬉しそうに見えたのは、決して俺の希望的観測だけではない、と、思う。


「金木犀はお好きですか?」
「ん〜? いや、別に特別好きってわけじゃないよ」


むしろ、匂いがきつくてこの時期ターゲットの臭いを追うのが難しくなるか
らあまり歓迎はしない、かな。
そんな事を正直に言うのは興醒めだから、言わないけどね。


「私は、どっちかというと苦手の部類に入ります、ね」


彼女に同じ質問をしようと思ったら、先に言われてしまった。
けど、その言葉が意外で。


「だけど、さっきは何だか嬉しそうにしてなかった?」
「あ〜…匂いは、嫌いじゃないんですけどね」
「匂いはってことは、花は嫌いってこと?」


それは珍しい、と思わずマジマジ見てしまった。
が、彼女は「花も嫌いじゃないです」と苦笑い。


「じゃ、な〜んで?」
「……だって……金木犀って蜘蛛の巣が一杯張ってるじゃないですか」
「は? 蜘蛛?」
「そうですよ。あの甘い香りに誘われる虫が目当てなのか、必ずと言っていいほど蜘蛛が、それも何匹もいるしっ」


想像しただけでも悪寒がするのか、ブルリと震えた身体を両腕で抱き締める彼女の顔はこれ以上ないって程嫌悪に歪んでる。


「……蜘蛛、嫌いなんだ?」
「蜘蛛だけじゃなくて虫全般ダメなんですけどねっ。あ、蜘蛛は虫じゃないとか知ってますから。でもそんな分類はどうでもいいんです! 見た目に虫っぽいってだけでもうダメなんです」


ああ、そういえばこの間もバッタが窓際にとまって立ってだけで悲鳴上げてたっけねぇ。


「んー…じゃあ、それは平気なの?」
「は?」
「そこ」


首を傾げてきょとんと見上げる彼女の、右肩の辺りを指差して


「ちっさいけど、とまってるよ、蜘蛛」


教えてあげた途端、ビシッと彼女の身体が硬直した。
と、思ったら


「いやぁああああああ!!」


すんごい叫び声を上げて飛びついてきた。
俺の首に両腕を回して、しがみついてくれるのは嬉しいけど、身長差はあるし手加減なしだし、でちょっと苦しい。


「取って取って取ってぇえええ!!」
「ちょ、ちょっと? 大丈夫だから、ほら、毒のない種類だし」
「そんなの関係ない〜っ、取ってぇ!」
「はいはいはいはい」


何でこんな小さいだけの奴が怖いのかねぇ?
こいつらの中には小さくても猛毒を持つ奴とかいるし、そういうのを嫌がる忍者は結構いるけどね。
内心で首を傾げつつも黒い点のようなそいつを摘んで手首の捻りだけで遠くへと放る。ま、蜘蛛なんだから死にゃしないデショ。


「ほら、もう大丈夫だよ」


ぽんぽん、とあやすように背中を叩いてあげると、ゆっくりとしがみつく腕から力が抜けていく。


「…ほんと? もういない?」


そろっと見上げてくるその瞳は潤んで、恐怖の名残か、どこか舌足らずな甘えるような口調で………いや、普通にヤバいから、それ!
ちょっと下半身に血が集まっちゃうでしょーよ!

とはいえ、ここは天下の往来。
こんな所で盛っちゃったりした日には彼女に三行半を突きつけられること間違いナシ。その辺は厳しいんだよね、彼女。
なので、俺はぐっと我慢して安心させて上げられるよう、出来るだけ鷹揚な笑顔を浮かべて見せる。


「ダイジョーブ! もういなーいよ」
「うん。…ありがとうございます」
「どーいたしまして」


礼を言いながらもまだ近くにいるだろう蜘蛛の存在が気になるのか、俺の腕の中から離れようとしない彼女に理性の箍は限界の悲鳴を上げっぱなし。

……コラそこ、随分脆い理性だなんて言うな。
仕方ないでしょーよ、照れ屋で意地っ張りの彼女に、こんなに素直に甘えられることなんて滅多にないんだから。

今度こそ、本能の求めに逆らわず俺はその小さな体をひょいっと抱き上げた。


「ひゃ?!」
「じゃ、また虫がくっつかないうちにさっさと帰ろうね〜」


でもって一緒にお風呂入って、ご飯食べて、一杯イチャイチャしようね!
まだまだ今日は始まったばかりだから、時間は一杯あるもんね?


「あ、あの、カカシさん?」
「だーいじょーぶ! 邪魔な虫は俺がぜーんぶ追い払ってあげるから!」


君にくっつこうとする変な虫の排除は、恋人の俺の役目だからね。
全身全霊をもってその重要任務に当たらせてもらうよ。


「な、なんかニュアンスが違ってきてませんか?!」
「気のせい気のせーい」
「絶対嘘ーっ」


叫ぶ彼女に「近所迷惑」と一言魔法の呪文を唱えて大人しくさせると、俺は
足にチャクラを溜めて地を蹴った。


彼女だけが支払えて、俺だけが受け取ることのできる報酬を戴くために。







===================


だいっ嫌いです、虫。



2.


……最近涼しくなってきたなぁと思ってたんだよね〜。


「だからといってこれはないデショ?」


ねぇ、ちゃん?
任務帰りにすっ飛んできた俺の目の前には、すやすやと眠る可愛い可愛い可愛
い…きりがないのでこの辺でやめておくが、とにかく大事な彼女。

ただし、


「……どーして床の上で寝てるかねぇ」


しかも夏の間の部屋着にしている薄手のキャミソールとショートパンツのまま。

その上布団も何も着ないで。


「風邪引いちゃうでしょーよ」


全くもう…ぶつぶつ口の中で呟きながら彼女の傍らにしゃがみこみ、


「おーい、起きろー」


声を掛けながらその剥き出しの肩を掴めば、


「冷たっ」


その冷ややかさに驚く。
これは……尋常の冷たさじゃない。
その血の気の引いた白い肌に見慣れた  それでも嫌で嫌でたまらない  
想が働いて、俺の血の気まで引いていくようだった。


「ちょ、ちょっとちゃんっ。起きてって!」


それを振り払うように少しばかり乱暴にその肩を揺すれば、すぐにその口から
漏れ聞こえてきた短い呻き声。


「…あれ、カカシさん?」


おかえりなさいと少しだけぼんやりした声で言われて、がくぅっと肩から力が
抜けた。
全くもう、このお姫様には参るよねー?


「どうかしたんですか?」
「いや、それはちゃ…さんのほうだって」


寸での所で言い換える。
彼女は「ちゃん」付けで呼ぶと嫌がるからねぇ……そっちの方が可愛いのに。


「こんな所で転寝してたら風邪引いちゃうデショ? ほら、こんなに体が冷え
ちゃって」
「あ〜、カカシさんあったか〜い」


ぎゅっと包み込むように抱き締めたら、彼女も嬉しそうに擦り寄ってきた。
でもそれだけじゃ足りなかったのか、自分から俺の膝の上に乗って、腕を背中
に回してぎゅうぅっと抱きついてくる。


「カカシさん…」
「…っ」


その上、熱い吐息混じりの声が耳元で名前を囁かれちゃったりしたら……


…さん?」


誘ってる?
誘ってるよね?
っていうか、それ以外のなんだって言うんだ!

滅多にしてくれないどころか、もしかしたら初めてかもしれない『お誘い』に
有頂天になりつつ抱き締める腕に力を入れたところで、


「カカシさぁん…」


こてっと。
力尽きたみたいに彼女が額を俺の肩に預けた。
……ん?
何か…今の声、随分弱弱しくなかったか?


「頭痛いぃ」
「はぃ?!」


慌てて身体をちょっとだけ離しておでこに手を当てたら  熱い!


「ちょっ、熱あるじゃないか!」


それも結構高いよ!
氷枕!
いや、それよりも先ず薬!!
5代目ーーーっ!!!








…………ハハハ。
いや、もう。

ほんと、最近めっきり涼しくなってきたんだから、もうちょっと身体に気をつ
けてね?

医者の不養生なんて、シャレになんないデショーヨ。

ねぇ?




=======================================
寝冷え

 

3.

ああ、やっぱり。


それを目にしたときの咄嗟の感想が、それだった。


やっぱり、私じゃダメだったね。


裏切られて悲しいとか、嘘を吐かれて悔しいとか、そんな感情よりも先に浮かんでくるのはどこか冷めた『諦め』で。
名前も知らないその小さな背と腰にしっかりと回された見慣れた腕から目を引き剥がして、ゆっくりと視線を上に向ければ、俯いて彼女を見つめていた右目が漸く視線に気付いたのか、こちらを向いた。


途端、見開かれた青灰色の眸。


それは、驚きから?
それとも密事がばれて慌ててるの?

……どちらにしても、私への愛情はもうそこにはないんだね。


気が付くと私は微笑を彼に返していた。
多分それは今までの中で一番綺麗な微笑だったと思う。
だってそのとき私の中には自分を良く見せようとか相手がどう思うだろうかとかいう虚栄のような、醜いと言われる感情が一切なかったから。

ただ、返そうと思っただけ。


好きだと言ってくれた言葉も、

優しくてほっとする笑顔も、

抱き締めてくれた腕の力強さも、

彼が私にくれた時間の全てを彼に返そうと。


「バイバイ」


そのための言葉は声には出さず、唇の動きだけで伝えた。そうじゃなきゃ彼女に気付かれてしまうし、彼の視力なら私の唇を読むことなど造作もない。

彼は敏い人だから、きっとこの一言だけで私の気持ちを分かってくれる。


音のない声で伝えた時、微かに彼が身体を震わせたように見えたのは、きっと私の最後のエゴだね。
諦めたつもりで諦めの悪い自分をちょっとだけ嘲笑って、でもそんな自分が結構好きだと懲りずに思う。

微笑みながら彼らに背を向けて、雑踏の中へ身を紛れ込ませた。


バイバイ、カカシ

大好きだったよ。

好きで好きで本当に好きで、今でも好き。

貴方が私にくれた全てのものが嘘だったと知った今でも。


私のこの気持ちだけは、本当だったよ。






=============
諦めが良すぎるのは、貴方のことが本当に好きだから。



4.

ほんの、出来心。
まさにそんな感じだったのに。

その中忍のコは、誰が見ても俺に片想いしてるって判るくらい態度があからさまだった。顔だってそこそこ、スタイルも悪くない。
誰だってこんなに一途に思われれば悪い気はしないだろう。
だけど俺には彼女がいるし、だから気持ちは嬉しいけど応えてあげられないよと伝えても、好きな気持ちを押し付ける気はないから片想いのままでいさせて欲しいと返された。

正直、その反応は結構新鮮だった。

俺の恋人はこんな風に気持ちを露にすることなんてなくて、俺への気持ちは言葉や態度の端々に滲んで見えるから不安になることはないけれど、「好き」だとか「愛してる」とかそういった類の言葉が彼女の口から自発的に出ることは殆どない。
いつも俺が強請ってごねて、それでやっと言ってくれる程度。

勿論、言葉が全てなんて思ってない。

だけど聞きたいと思うのは当然だろう。
好きだから、聞かせて欲しいと思う。

なのに彼女はいつもどこか冷静で、終わりを見据えているような所があって。
俺は彼女のそんなところにどうしようもなく焦れていて、だから。

中忍のコの分かり易い態度がやけに新鮮に見えて、乞われるままに何度か一緒に食事をしたり、遊びに行ったり。

浮気ではない。
少なくとも、俺の気持ちの中に疚しいモノは一切なかった。

だけどそれは所詮俺の言い訳でしかなくて。明らかに俺に想いを寄せている女の子と一緒に仲良く出歩けばそれは傍目には立派なデートだと映るって事も俺は確かに承知していた。

いつか、彼女に知られるだろうってことも。





『バイバイ』





唇の動きだけでそう言って背を向けた彼女。
その、純粋な水晶のように透明で温度のない微笑を前に俺の腕はバカみたいに硬直して動かなくて。
そこにいるのは彼女じゃないのに。


「…って」


やっと出た声はありえないくらいに震えて掠れてて、こんな声じゃ彼女には届かないってのに。


「カカシさん?」
「ごめん」


漸く異変に気付いて顔を上げたそのコに短くそれだけ告げると、俺の足は次の瞬間には地面を蹴っていた。
背後で置き去りにされたあのコが何か(多分、俺の名前)を叫んでいたみたいだけど、俺の耳にはそれはもう単なる雑音としか認識されなかった。



待って。
待って、行かないで。
俺を置いて行かないで。
俺を捨てて行ったりしないで。



クールなフリをしてその実かなりの照れ屋で恥ずかしがり屋で、強気なのに心配性で、大胆なくせに臆病で、論理的思考の持ち主なのに決定を下すのはいつも直感に頼る、決して一筋縄ではいかない複雑怪奇な精神構造の持ち主で、いつだって独特の目線を持っていて、他人と同じ評価を下す時もちゃんと自分の判断基準をもってそれに照らし合わせてる人。

ちっとも思い通りに行動してくれなくて、いつだって凝り固まった俺の視界に新しい見方を教えてくれた。
俺は彼女のそんなところに惚れたのに。


言葉にしないのは重荷にならない為。
終わりを見据えるのは不安だから。
感情を隠したがるのはどうしようもないほど照れ屋で恥ずかしがり屋で、なによりも。

それだけ俺のことが好きだから。


分かっていた筈なのに。
彼女のことなら誰よりも知ってるつもりだったのに。



ごめん。
ごめんなさい。
謝るよ。謝るから。

土下座したっていい。
忍が集まる受付の前で大声で詫びてみせろと言うならする。
何でもしてみせる。
お前が許してくれるなら、誰が見てようが噂しようが気にしない、から。

だからお願い。
俺を捨てないで。
もう一度笑顔を見せて。
その瞳に俺を映して。

お前の涙を拭う権利をもう一度、俺に与えて。



===========================
馬鹿な男だと嘲われても。

5.

「……ねぇ」
「はい?」


暖かで穏やかなお散歩日和に、休日だからと家でごろごろしていられるはずが
なく、カカシさんを誘って川辺をのんびり歩いていた矢先のこと。


「訊きたいことがあるんだけど、訊いてもいーい?」
「どうぞー?」


日差しのせいか、それともカカシさんの口調のせいか。
応える私の口調さえも間延びしている。


ぽかぽか、てくてく。
ぽかぽか、てくてく。


歩いていなかったら寝てたかもなぁ、私。
それ位気持ちいい。

いいなぁ、こういうの。


「あのねー」
「はい」


ぽかぽか、てくてく。


「ずっと前から気になってたんだけど」
「はい」


ぽかぽか、てくてく。


「どうして俺のこと、先生って呼んだりさん付けだったりするの?」
「は?」


ぽかぽか、て…。


足が止まってしまった。
が、すぐにカカシさんに促されてまた歩き出す。


ぽかぽか、てくてく。


「え〜っと…」
「うん」


ぽかぽか、てくてく。


「私、そんな使い分けしてました?」
「……気付いてなかったの?」


いや、気付くも何も。
そんなことしてたつもり全くないんですけども。
そう言うと、カカシさんは「無意識かぁ」とちょっとだけ苦笑した。


「すみません」
「いや、別にいいんだけどね」


いやいやいや、と胸の前で小さく手を振られて、下げようとした頭を止められ
てしまった。
それから、また二人でのんびりと歩く。


ぽかぽか、てくてく。
ぽかぽか、てくてく。


「ん〜……実はね」


暫く無言で歩いていたら、カカシさんが振り向いた。


「はい?」
「俺の呼称が変わる原因……っていうか、理由は何となく分かってるんだけど」
「そうなんですか?」


すごい!
自分でも分からないのに、カカシさんにはわかったなんて、さすが忍者!!


「聞きたい?」
「はい!」


即答でこくこく頷いたら、その勢いにカカシさんはちょっとビックリしたよう
だった。


「あのね……ナルトなのよ」
「は? ナルト?」


……が、どうかしたのだろうか?


「カカシ「先生」って呼ばれるときって、大抵ナルトが傍にいるんだよね」
「え?」
「で、ナルトがいなくて、周りはナルトにはあまり係わり合いのない大人ばか
りのときは、カカシ「さん」になってる」
「あー…成る程」


そういうことか。
つまり私はナルトがいると無意識に彼の保護者としての立場を取っているとい
うわけだ。


「だからね、ちょっとヤキモチ妬いてたりするんだよね」
「……ナルトに、ですか?」
「そ! だってそれって俺じゃなくってナルトが一番ってコトでしょーよ」
「あぁ…まぁ」


そういうことに、なるのか。
なるんだろうな。
うん。


……それにしても。


「カカシさん」
「…な〜によ?」
「カ〜カシさん」
「だから、なによ?」


今は、ナルトはいませんよ。
そんな意味を込めて。


何度も、何度も読んでみた。
その度に返ってくる返事が春の日差しよりもぽかぽかしていたから。




==============
呼び名

連載で拾い損ねた伏線の一つ(…)


6.

どさりと、それが立てた音に僅かに眉を顰めた。
耳障りだと思った。
まだ潜んでいるかもしれない敵に場所を知られた可能性もある。
移動を、と顔を上げたが、足が動くことはなかった。


「カカシ」


密やかな声が鼓膜に届いた。


「大丈夫。こっちは終わった」
「そう」


返事が聞こえたとほぼ同時に彼女はカカシの隣に降り立っていた。
樹の上にいたのだろう。
けれど葉擦れの音もなく、着地も無音だった。


「何人?」
「3人。そっちは?」
「2人」
「……半端だな」
「そうね。だけど、他にはいないと思う。周辺を私の口寄せに探らせたけ
ど、反応なしだった」
「そうか」


彼女の探査能力は充分信用が置ける。
カカシはこれで任務完了だな、と一人ごちた。
そこに篭る感情はない。
僅かな血臭も己の怪我の状態やチャクラ残量も、全てを客観的材料として
判断を下すのみ。

けれど


「カカシ」


その、密やかだけれどどこか温かい声が


「ん?」
「帰りましょう、カカシ」


身に染み付いた冷淡さの下から自分を引き上げる。


「……ああ、そーね」


まだ、里に帰還したわけではない。
そういう意味では緊張を、警戒を解いたわけでもない。
けれど応えるのは紛れもない『はたけカカシ』。
彼女がその声で呼び戻してくれた自分。


だから。


「……カカシ?」


どうしたの?
腕を引かれ、抱き締められて戸惑う彼女の耳元に懇願を。


「…もっと呼んで」


もっともっと、たくさん呼んで。
自分の名前を。
自分だけに甘くとろけるように響くその声で、何度も呼んで。




何の抵抗もせずに誘惑されてあげるから。





======================
『木精−Dryad−』case:Kakashi.H



7.

「ただーいま」


突然目の前に現れてそう言ったのは、あと1週間は返って来ない筈の人。


「いや〜ぁ、実は予想以上に今回の任務がスムーズに遂行できてねぇ、懸
念してた問題も起きなかったし、我ながら順調すぎてびっくりよ?」
「…………」
「………あれ?」


驚きすぎて固まってると、カカシは戸惑いを顔に表してがりがりと頭を掻
いた。ぱらぱらと砂が零れ落ちたが、いつもならそれを見るや早く風呂に
入ってこいと急き立てるのに、喉は今だ固まって声を発してくれない。


「えーっと……そんなに驚いた?」
「…………」


顔を覗きこまれて、それでも黙っていたらカカシの手が頬に重ねられた。
心持ち上を向かされて、真正面から視線が絡む。
鋭く見透かすような右の瞳に映り込んだ自分の顔は、まるで迷子の子供の
ように頼りなく見えた。

ふ、と視線が緩んだ。


「……なにかあった?」


優しく問われたのが、きっかけ。


「……どうして?」


どうしてこんなにタイミング良く貴方は現れるのか。
居て欲しいと思ったときに。
温かさを感じたいと思ったときに。
大好きな長い腕でぎゅっと抱き締めて欲しくなったときに。
任務で長期間里を空けることだって珍しくないくせに、どうして、こんな
ときにばっかり。


「何があった?」


何。
何が。


「何にも、ないですよ?」
「嘘」
「ほんとです」


取り立てて彼に言うほどのことなど何もなかった。
里は相変わらず平和で、でも木の葉病院は相変わらず忙しくて。
ただちょっと。
そう、それはほんのちょっと。

皆、疲れていただけだ。
それは彼女も変わりなく。
病院の忙しさは里外の不穏さを嫌でも彼女に知らしめて、今は自雷也と共
に他国を巡りながら修行している少年や、少しばかり期間の長い里外の任
務に就いた恋人の身を案じさせた。

そうやって疲れとストレスを溜め込んで、職場の先輩忍医と小さな諍いを
起こしてしまっただけ。
その忍医とも翌日には和解している。


「ほんとですよ?」


何があったわけでもない。
でもほんのちょっと、理不尽な出来事に心が沈んでしまっていた。

だから、それを振り切るように腕を伸ばしてカカシの胸にしがみつけば、
土や草の臭いと一緒にお日様のどこか埃っぽい匂いがした。
そういえば、今日は眼が痛くなるほどの晴天だったと思い出す。


「おかえりなさい、カカシさん」
「……ま、いーか」

まだ言ってなかったかと思いついて口にしたら、ぎゅうっと苦しいくらい
に抱きしめられた。





「ホント、早く帰ってきて正解だったよ」






===================
青雲



8.

「……ですから、当社では……ここでのコンセプトは…」


少し低めの、それで居てどこか柔らかな声に耳を澄ます。
抑揚を抑え目にした耳障りのよい声は説得力に満ちていて、すんなりと耳に入っ
てくるから性質が良いのか悪いのか。

……いや、仕事上では良い武器なんだろうけどねぇ。

仕事中、それも大事なプレゼンの最中だというのに私情を排除しきれない自分が
少し情けない。
内心で嘲いながら周りの反応を窺う。


……うん。
大丈夫、懐疑的な目をしてる奴はいない、と。


もっとも、俺と彼女と二人がかりで練りに練り上げたんだから、出来が悪いはず
がないけどさ。
好感触に満足しつつ、ここはあの気難しそうな部長をまず落とすか、と今後の根
回しの方向を決めたところで彼女のスピーチも締めを迎えた。








「お疲れさん」


大理石で化粧されたロビーを出た途端に吐き出された大量の呼気にがっくりと落
ちた肩を叩いてやれば、「はたけ課長こそ」と慌てて姿勢を戻して首を振る。


「そーね。慣れてるとはいえ、4徹は流石の俺もキツかったわ」


首を曲げるとごきりと鈍い音がした。
その音が聞こえたんだろう、「私も」彼女が苦い顔で笑う。


「すっかりお肌荒れちゃいました。この企画が通ったら、会社にエステ代請求し
たいくらいですよ」
「あ、それいーね。俺も請求しようかな」
「エステ代を?」
「そっ。メンズエステ」


にっこりとわざと邪気のない笑顔をみせると、察しのいい彼女は即応してきて、
「いい男はスキンケアにも気を使うんですね。勉強になりました」なーんて、
真面目くさって頷くもんだから逆にこっちのほうが笑っちゃったよ。


「ま、エステ云々はともかくとして――」
「はい?」


助手席でシートベルトを締めている彼女がきょとん、と首をかしげた。
その大きな目に、にっこりと笑った俺が映りこんでいる。


「今日はこのまま直帰予定デショ? 祝杯あげにいこーよ」
「祝杯って…プレゼンの採非は来週末で…」
「違ーうよ」


ま、今日の反応みる限り、まず間違いなくウチが取れるとは思うけどねー?


「とりあえず、今日のところはお前の誕生日を祝わせてよ」


もうレストランの予約だってしてあるんだからさ。



============================
『声』オフィスパラレル カカシVer.
……趣味丸出し(笑)