君だからこそ
















柔らかな声で名前を呼ばれた。


「ん? な〜によ」


慣れたこと、当たり前のことだと何気ない風を装って振り返ったけれど、俺はその
声に呼ばれる俺の名前がすごくすごく好きで、彼女に呼ばれるたびに胸の奥がくす
ぐったいような、暖かい優しい気持ちになる。


「カカシ、あのね」


大事な話があるの。
いつもの強気な態度は何処へやら、目の前に正座したは生真面目な顔つきで
俺が贈ったエプロンの裾を神経質そうにいじくっている。


「な、なに?」


思わずつられて居住まいを正した俺は、何かしただろうかと必死で記憶を辿るけれ
ども思い当たる節はなくて、ごくりとつばを飲み込んで彼女の次の言葉を待つ。

……ま、まさか離婚とか言わないよね?
俺、浮気とか全然してないよ?! 生活の苦労だってそんなに……ま、まぁ、上忍
だから心配は掛けてると思うけど、でも、生活費だって十分稼いでるし! 甲斐性
ナシってことは決して!


「あのね、カカシ」


はっ!
まさか他に好きな男が出来たとか?!

もしそうだったらそいつのことぎったんぎったんのボッコボコにして簀巻きにして
三枚に下ろして死の森の奥深く、上忍や暗部でも滅多に近寄らない危険な妖物の巣
に埋めて証拠隠滅してやる。
いや、三枚に下ろすのは血が出るから後始末が面倒かな……だったら出来るだけ長
く苦しむ毒で……俺元暗の上忍だしね。そういうの得意だし。不本意だけど。


「実は…赤ちゃんが出来たの」
「絶対別れない!」
「は?」
「……て、え?」


あれ?
今、何か全然予想と違う単語が出てこなかった?


「あの…カカシ、私の話聞いてた?」
「え、今……赤ちゃんて……」


目線だけを彼女のお腹に向けて、でもまだぺったんこなそこに医者でもない俺が兆
候なんて見て取れるはずもなくて、問いかけるようにまた彼女の顔を見ると
は照れくさそうな顔でそっと自分のお腹に手を当てて頷いた。


「ほ、ホントに…?」
「本当。今日病院行ってきたの」
「俺との子…」


いるんだ、ここに。
の手の上に被せるように俺の手を置いたら、が直接触れるように自分
の手を引いた。服の布越しにじんわりと伝わる体温が、ここに命があるんだと教え
てくれてるみたいで。


っ!!」
「ひぁ?!」


なんだか色んなことが我慢できなくて彼女の体を抱きしめた。


「ありがとう、。ホントに、ほんっとにありがと」


馬鹿みたいにそれしか言えなかったけど、多分きっと、これが幸せってやつなんだ
と素直にそう思った。













「っていう夢を見たんだよねー」
「……はぁ」


我ながらなんとも気のない反応だと思うけれども、待機所で顔を合わせるなり滔々
と今朝見た夢の話とやらをされて、他にどんな相槌が打てようか。


「あ、何よってば反応うっすーい!」
「いや…薄いも何も……」


色々と突っ込みどころ満載で何処から突っ込んで良いやら考えてたんですがね!


「えーと、カカシ」
「うん?」
「いや、うん? じゃなくて! ……その話を私にして、結局のところ一体何が言
いたいのよ」
「あー、うん。それなんだけどね」


私が突っ込んだところを訊いた途端、カカシは何故か目元を赤く染めてがりがりと
後頭部を掻いた。


「さっきも言ったけど、夢の中で俺、すっごく幸せだったんだよね。もうこれ以上
ないってくらい」
「うん。それは聞いた」
「でしょ? だからね、目が覚めて夢だったんだって分かってすっごくがっくりき
ちゃってねぇ」
「……まぁ、その気持ちは分からなくもないよ」
「でしょでしょ? しかも俺、今日誕生日よ? なのにどーして朝からこんなに残
念な気分にならなきゃならないんだーって何だかむかついちゃったりもしてきてさ」
「あ、誕生日なんだ。それはおめでと」
「うん、ありがと。だからね、これはもう夢を現実にするしかないなって!」
「現実にって、つまり結婚して子供を作るってこと?」
「うん、そう!」
「ふぅん。……まぁ、アンタも結構イイ歳だもんね、身を固める決心をしたのはい
いことなんじゃない?」


その決意表明を何故私にしたのかは未だに理解不能だが、ま、結婚願望自体は悪い
ことじゃないしね。

頑張れ〜。
ひらひらと手を振って薄っぺらい声援を送ってやった…のだが、カカシは不満そう
に唇を尖らせた。おまけに立ち去ろうとした私の腕を掴んで力づくで振り向かさせ
られた。


「ちょっと、カカシ?」


これから私は任務なんだけど!
睨みつけてもびくともしやしない。
どころかむしろ私が睨まれた。ナニユエ?!


「どーしてそう他人事みたいに言うワケ?」
「どうしてって……」


まぁ実際、他人事だし。
心の内が顔に出たのか、カカシが一層凶悪面になってずいっと顔を近づけてきた。


「俺は、お前に結婚してって言ってるんだけど」
「は?!」


何ですと?!


「言ったでしょ、夢を実現させるって」
「言ったね! 確かに言ったよ! だけどちょっと待て!」


待て待て待て待て待て!!
1年位ぐるっと待て!!!


「えー。そんなに待つのヤダ」
「待てよそんくらい!」
「だって俺、今日誕生日だし」
「今それ関係ないから!」


誕生日のプレゼントに婚姻届にハンコ押せってか!
冗談じゃない!

って言うか、そもそもおかしいでしょうが!


「大体ね、アンタと私は単なる顔見知りでしかないのよ? どっかですれ違ったら
挨拶くらいは交わす、そんな程度の知り合いでしょ。全うに一対一で会話したのな
んか今日が初めてって勢いの。そりゃ、一度か二度、一緒に居酒屋でお酒飲んだけ
どね、それだって紅とアスマがいたからだし。お互い、友達の彼氏(彼女)の友達っ
て認識でしかないでしょうが!」
「うん、まぁそーね」
「それが、何処をどうして、何がトチ狂ったら結婚って話が出てくるのよ?! ア
ンタ私のことほとんどなんにも知らないでしょうが!!」


私だってアンタのこと知らないし!


「うん。確かに知らないね。俺が知ってるのはお前が実戦よりも情報戦が得意なく
の一ってことと、割り切りの早い合理主義のわりに面倒見が良いってことくらい?
あ、あと紅ほど酒に強くはないよね」
「あの酒豪と比べないでよ。ってか、ほらね!」
「でもさ、そういうことはこれから知っていけばいいデショ? あの紅が親しく付
き合ってるって時点で性格が悪いはずないし」


『あの』って……まぁ、確かに紅は同性に対するチェック厳しいけどさ。


「俺ね」


カカシは掴んでいた腕を一旦離して、すぐさま私の手を取った。


「夢の中で本当に幸せだったんだ。あんなに幸せな気持ちになれたの、今まで生き
てきて初めてだった」


でもその手にはちっとも力が入ってなくて、まるで繊細なガラス細工を扱うときの
ように優しく、どこかぎこちない。

多分、逃げようと思えばすぐにでも逃げ出せた。
なのに目の前の淋しげな空気を漂わせるカカシにうっかり同情してしまった私。


「だからね」


この隙に、何が如何でも全力で逃げるべきだったのに。


「あの幸せを手に入れるために、には絶対に俺と結婚してもらうから!」


逃がさないとばかりに握る手に力をこめられ、にやりと悪人面で笑われた。
反して見事に引きつった私の頬。


「く…」
「く?」
「口布してんのになんでそんなにはっきり表情が分かんのよ?!」


おかしくない、それ?!


「……えー、反応するところ、ソコ?」
「うっさい!」


怒鳴り声と共に振り上げた私の右ひざは見事にガードされた。……が!


「…っく、やるね」


ぐらりと上半身をぐらつかせた彼の手首に突き刺さる針には、シカクさんにとある
恩を売ってせしめた奈良家秘伝の痺れ薬が塗ってある。痺れ自体は10分もすれば副
作用もなく消えてしまうが、薬物耐性を持つベテラン忍にも効く優れモノだ。


「当然でしょ。これでも紅より上忍歴は長いのよ」


さっきカカシは私を『実戦よりも情報戦が得意』と評したけれど、だからといって
実戦ができないわけじゃない。手首の返し一つで飛び出す針のような仕掛けは、そ
れこそ忍服のあらゆるところに仕込んである。


「カカシ、これだけは言っておくわよ」
「…何よ?」


ハイそこ! 子供みたいにおねだり聞いてもらえないからって拗ねない!


「私はね、愛のない恋愛も結婚も、しない主義なの!」


諦めて他を当りなさい!
言い捨てて、私は任務へ向かうべくあうんの門へと急いだ。







だから私は知らない。


「……つまり、『愛があれ』ばいーわけだよね」


残されたカカシがそう呟いて、キラン、と目を光らせたことを。







私は知らない。


「だぁーーーー!!! もう追いかけてくんなぁ!!」
「結婚してくれるまでぜぇったいに諦めないって言ったでしょーよ」
「アンタとは結婚しないっていってるでしょー!!」
「愛があれば結婚してくれるんデショ?」


この後、断っても断っても諦めないカカシと私の里内追いかけっこが『木の葉の新
名物』と言われるほど頻繁に発生し、続くことを。







私は知らない。


「こーんなに何度も愛を告白してるのに、どーして伝わらないのかねぇ?」
「…………どこがだよ」
「えー? ちゃんと毎回言ってるデショ? ちゃんと結婚できないなら俺の
幸せはないんだーって」
「…………お前の言ってる幸せってのは、どっちが重要なんだ? 『と』と、
『結婚』と」
「そりゃ当然『ちゃんと』が最重要に決まってるでしょーよ! そもそも、
ちゃんと結婚できないなら結婚なんてしたいとも思わなーいよ。そーんな野
暮言うなんて、やっぱりお前さんは熊だね、熊」
「…………………おい」
「何よ、朴念仁のクマ公」
「熊言うな。………つかな、悪いこたぁ言わねぇから、今お前が俺に言ったこと、
一言一句違えずに今すぐに言って来い」
「へ? なんで? 毎日言ってるのに?」
「それが伝わってねぇっつってんだよ! いつまでもに『夢のお告げに従っ
て結婚を強要するストーカー』だと思われていたいってんなら別だがな」
「何だって?! 誰だよそいつ!」
「お前だ、この一般常識馬鹿!!」


あんまりにも哀れに思ったらしい(それが私なのかカカシなのかは、敢えて追及し
ない。哀し過ぎる)アスマ及び男性(上・特上・中・下・一部、引退忍……要する
に、知り合いの男性ほぼ全員らしい)陣の助言に従ったカカシが『綺麗な薔薇の花
束を持って』、『正式』に、『結婚を前提にしたお付合いの申込み』をしに我が家
へやってくることを。





そして、


「結局、纏まっちゃったわね、アンタ達」
「し、仕方ないでしょ! カカシが人目も憚らず大っぴらにしつっこく追い掛け回
すもんだから、すっかり他の男が寄り付かなくなっちゃったんだもん!」
「まぁ、それもカカシの計略の内なんだろうけどね」
「ほんっと、腹黒い奴!」
「はいはい。そんな腹黒銀髪犬に懐かれて押し捲られて絆されちゃったのは何処の
誰かしらね?」
「うぅぅぅぅ……紅の意地悪ぅぅぅ」
の意地っ張り。観念なさい、わざわざ新郎の誕生日に合わせて式挙げよう
って花嫁が、今更何言ったって惚気にしか聞こえないって」
「だって……カカシが絶対今日がいいって言い張ったんだもん……」
「とにかく、おめでと。精々カカシに愛されて甘やかされて幸せになりなさいな」
「……うん、ありがと」


1年後の同じ日に、仕込み針まで使って逃げた相手と結婚することになるなんて。







この日の私は、一切知らなかったのだ。











fin.