それは誰のどういう悪戯だったのか。
運命の、ならば哂うしかなく。
神の、だとすればひどく悪意に満ちている。
ノアと人との間に子供が出来るなどと。そしてその子供にイノセンスがとり
憑くなど。
vanitas
ガコン、と耳障りな音を立て足元に転がったのは何体目のAKUMAだったか。
否、正確にはその残骸か。
とっくに数えることを放棄した彼女の周囲には、これでもかと堆く積み上げら
れているが、はその山が崩れるのも構わず無造作に踏みつけて歩く。
「うざい」
刀使いの同僚の口癖が聞こえた気がしたが、すぐに自分が呟いたのだと気付く。
疲労が思ったよりも激しいことに苛立って舌打ちした。
多勢とはいえLv.1や2の雑魚相手に体力を消耗したことも。
結構気に入っていた団服がもはや修復不可能だろうことも。
足場が悪くて歩くのに多少苦労することも。
雑魚のくせに自分に歯向かってきたことも。
何もかもが腹立たしい。
腹立ち紛れに、瓦礫の中、まだしぶとく生き残っていたらしいアクマの眉間を
『()』で精確に射抜いた。
バサリと翻る神の翼と、ガラガラと崩れ落ちる瓦礫と、何度目かになる舌打ち。
「まったハデにやったね〜?」
この惨状に全く似つかわしくない明るく幼い声が、その足を止めさせた。
「…ロード」
「折角頑張って作ったのに、千年公かわいそー」
可哀相、と言いながらキャハハハハと甲高い笑声を響かせる少女を、は
どこか無感動に眺め遣る。
「ロード」
「ん?」
「公は、一緒?」
この問いには、少女はロリポップを咥えたまま首を横に振った。
「お行儀悪いよ」は口先だけでそれを咎める。
「はーい」
千年公を別として、他の誰が注意しても聞く耳はもたないだろう少女は、意外
にも従順にキャンディを口から外した。
「そうか、千年公は一緒じゃないんだ」
「千年公に用事でもあった?」
少女の問いに、今度はが首を振る。
「珍しくロードが顔見せたから、とうとう殺しに来たのかと思っただけ」
「殺して欲しいの?」
「さぁ、どうかな」
殺伐とした会話が、姉妹のような気安さで交わされる。
「ねぇ、いつになったら戻ってくんの?」
「戻るって、どこに?」
「そんなの 」
「俺のトコに決まってるでしょ」
不意に首周りに絡みついた腕の持ち主の気配に気付かなかったのは不覚としか
言い様がない。
の柳眉が顰められた。
「あーーー! なに僕のに抱き付いてんのさ、ティッキー!!」
「それは俺の台詞だっつーの」
離れろ、と途端に騒ぎ出したのみならず手も足も使って実力行使に出た少女に、
ティキは大人気なくも応戦する。
ぎゃいぎゃいと両側で喚かれるのも腕やら足やら腰やらをひっぱり合われるの
も、この2人が揃った場所ではいつものことで。
そうして。
何時の間にかがするりと抜け出して離れたところで2人を眺めつつ呆れた
溜息を漏らすのも、いつものパターンだ。
「…また」
「どーしていつもいつも逃げられちゃうんだろ?」
面白そうに首を傾げる少女と苦虫を噛み潰したような表情の青年とは顔を見合わ
せた。
この2人の隙を突けるなんて、彼らの盟主かしかいない。
「ロード」
「なにー?」
「用がないならそろそろ帰りなさい」
「えー?」
あからさまに不満げな顔つきをした少女に、はふと笑んだ。
「ワガママが過ぎると、公に怒られるわよ?」
「………はぁーい」
一族の中にあっても滅多に笑うことのなかった彼女の笑顔には、弱い。
『家族』にとっては不名誉なヒトとノアの混血であるを蔑む者もいるが、
長子である少女を出し抜けるほどの実力を持ち、ジャスデビやスキンのように
極端な性格破綻者でもなく彼女に少女は殊の外懐いていた。
「じゃ、人間に飽きたら呼んでよね。のイノセンスなら、いつでも壊し
に来てあげるからさ」
じゃあね、と手をひらつかせながら闇に溶け込んでゆく。
「……ほんっと、アイツお前の言うことだけは素直に聞くんだよなぁ」
「貴方は帰らなくていいの?」
「おいおい、つれないこと言うなよ」
折角逢いに来たのに、とがっくり肩を落としながらも覆いかぶさるように抱き
付いてくるその身体を、は今度は避けなかった。
それを当然のことと、青年は抱きしめる腕に力を篭める。
深く、息を吸った。
「…ティキ?」
「なぁ」
そろそろ帰ってこねぇ?
いつになく甘えるようなその仕草に違和感を覚えて首を傾げると、質問を遮る
ように青年が言葉を紡いだ。
「………」
「お前も聞いてるだろ? 千年公が、本気で動き出したってこと」
「……うん」
「俺たちも今、エクソシスト達を狩って回ってる」
「……それも、知ってる」
「帰ってこいよ、。下手したらお前のイノセンスごとお前も殺られかね
ねぇんだ」
「ティキ……」
目が、合った。
自分をじっと見つめてくる。
いつも捕らえ所がなく飄々とした青年の、真摯な光を宿した瞳に射抜かれる。
そのまま「うん」と言ってしまえば良いと誰かが囁く。
そうした瞬間に彼の手が背中の白い翼を鷲掴み、引き裂くのだろう。
一瞬の激痛と、を優しく抱きしめる腕の甘やかさと舞い散る白い羽の
光景が現実よりも鮮やかに脳裏に浮かんだ。
それは、なんて甘い誘惑。
けれども。
はふるふると首を振った。
「なんで」
「……私はエクソシストだから」
「………っ」
「ノアにも、ヒトにもなりきれない。でも、私はエクソシストだわ」
イノセンスがこの身に取り憑いている限り。
「ノアを…俺たちを捨てるつもりか?」
そんなことが許されて良い筈はない。
青年の手が、本人も意識しないうちにの背にたたまれた白き翼を掴んだ。
ぎゅっと力を篭めれば、その痛みにが低く呻いた。
「このまま……こいつを壊してしまおう。そうしたらお前はノアに戻るしかなく
なるよな?」
「ティ…キ…っ」
イノセンスの力が青年の手を焼く。
それでも彼は力を篭め続け、じわじわと引きちぎり始めた。
「お前は俺のものだ、。エクソシスト共に誰がくれてやるか」
「…っ、あぁ!」
苦痛に、は仰け反った。
露になったその喉元に青年の唇が喰らいついた。
きつく、きつく吸い上げて白い肌に紅紫の痕を残す。
ついでとばかりに歯を立てれば、薄い皮膚は簡単に裂けて鮮血を散らした。
「……シテ」
「?」
「コロ…シテ、ティキ」
たとえイノセンスを失っても。
この身がエクソシストでなくなったとしても。
それでもきっと、二度とはノアには戻らないだろう。
だから。
貴方に殺してもらう以外に、貴方のものになる方法が失くなってしまった。
「っ!!!」
けれど次に彼女の名を呼んだのは青年ではなく、もっとずっと若い声だった。
同時に起こった衝撃に闘いに慣れた身体が勝手に反応して飛び退る。
それは青年も同じだった。
離された手。
傷付きながらも自由を取り戻した翼がばさりと翻る。
長い髪に黒き団服を纏う少年が、さっきまで2人がいた場所に、2人を隔てる
ように立ち塞がっている。
「、無事か?!」
「……ええ、平気」
正眼に構えられた刀が鋭く光を反射した。
一瞬、眩しそうにそれを見遣った青年は、だが次の瞬間には大袈裟な溜息と共
に張り詰めた気を緩めた。
「あ〜あ、お邪魔虫が登場しちゃったよ。しょうがない、今日はここまでかな」
「何だと?」
険を増した少年には構わず、青年の視線は真っ直ぐにに向かう。
「またな、」
「ティキ」
トップハットを被りなおした青年が微笑んだ。
「Dum fata sinunt vivite laeti.」
薄い唇が数語を音を出さずに紡いで、そのまま闇に溶けて消えた。
「…なんだ、アイツ?」
首を傾げる少年に答える声はない。
ただは彼が残して言った言葉をそっと胸の内に刻み込んだ。
「Dum fata sinunt vivite laeti.」
それはなんて甘美な、彼らしい死の宣告。
fin.
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「Dum fata sinunt vivite laeti.」(運命が許す間、喜々として生きよ。)
ティキがラテン語を知ってるとは思えませんが(笑)。